きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

お年賀の予約

2012-12-11 | 今の会社
社長はとうとう会社に来なかった。

土曜日も来てなかったと聞いていたので、別荘にいるのだろうと思ったので
ブレーカーが飛んだことも連絡しなかった。
気を揉むだけだと思ったのである。
(でも客からの電話で知ることになり、状況はつかんでいるようである。)

午後から会社に来たら報告しようと思ったが、とうとう来なかった。
社長宛に来たメールを携帯に転送することにした。

課長と秀クンはしばらく仕事をしていたが、「もう来ない」と分かっていたので、
暗くなったら「もうお先に失礼」「帰れる時に帰る」と言う。

そして私は1人事務所に残された。

(あーこんな暖かい暖房の効いたお部屋で1人でお仕事だわー)
と思ってみたものの、だんだんテンションが下がってきた。
気がつくと、先週だって月~金のうち3日、こうして1人で仕事をして、最後に鍵を掛けて帰っているのである。
その後1時間も2時間もしているわけではないが、社長は来ない。男どもは先に帰る。
自分の給料は彼らよりうんと安いのに。。。この冬もボーナスの「ボ」の字も無く。。。

そして6時も15分を過ぎ、私はポットや水槽やエアコンの電源を切って私服に着替えて、もうちょっと仕事をした。
何故なら、まだエアコンを切ったばかりで事務所が暖かいので、何だかもったいないような気がして、部屋がもう少し寒くなるまで、ここで仕事をしようと思ったのである。

するとAさんが事務所にやってきた。
この後また出ちゃうんだけどね、今日は(某有名人)が応援演説に来るんだよ、と言う。

私はそれじゃお先にともう一度エアコンをつけて、事務所を出た。

もうそろそろお年賀の予約をした方がいいだろうと思い、帰りにケーキ屋さんに寄った。
そこは前の会社に居たYさんお勧めの店=地元でも知る人ぞ知るケーキ屋さんである。

ここで、12枚1,000円と書かれたクッキーの詰め合わせセットを10枚にしてもらって、1つ860円でお願いすることにした。(どこかせこい)
そしてカワイイ箱につめてもらって、社長やAさんがお客さんの所に持って行った時、「あ!ここはあそこのお店ですね、ケーキがおいしいんですよね!」などとお客さんに言われて、社長が「え!」なんてたまげる姿を勝手に想像して、楽しむ事にした。(そんな事は無いか・・)

そして、毎年回りきれなくて10個ぐらい残るから、それを私は密かに回収して、妹やOMさんの所におすそ分けしよう、課長にも持って帰ってもらおう、きっと喜ぶだろうと勝手に想像する事にした。

ちょっと残念なのは、法人だとスタンプカードが作れませんと言われたことだ。
その分、受け取った人に喜んでもらえればいいや。

社長が会社に来ないことや、みんなが早く帰ってしまうことばかりを考えるとちょっと虚しいけれど、私は私で楽しい事を考えようと今日も締めくくる。

電気がとぶ

2012-12-10 | 今の会社
今日はまた一段と寒い。

朝会社につくと課長も来ていたが、まだエアコンを入れたばかりなので、寒い。
課長は「寒くてイスに座れない」と言い、私は寒くて制服に着替えたくないと思う。

そしていつものようにもう1台エアコンのスイッチを入れ、魚の部屋のエアコンも入れ、魚の水槽の電気をつけようとしたら

パッ。


水槽の灯りが消えた。

最初は水槽の故障かと思ったが、部屋の電気が一斉に消えたのである。

課長はブレーカーを上げようとするが、電気がつかず、電気屋さんに電話した。
そして電気屋さんが来るまで、全てが消えてしまったので、寒い暗いの中待った。

この「暗い寒い」はあの地震の後の交代停電を思い出す。
電気がつかないから、コピーもFAXもとれず、もちろんPCは使えず、手書きで伝票を書いたりしながら細々と仕事をしたあれである。

しかし寒い。
あの頃は寒さだけはもうすこししのぎやすかったのではないか、まだ薄手のコートだった。
課長は現場に行ったり外でひなたぼっこをしながら過ごし、私は携帯メールでAさんやnanuさんや秀クンに「電源が飛んで電話が止まっている」ことを伝えた。(慣れてないので数行打つのにも時間が掛かった。)

まもなく電気は復旧したが(実はもう1つブレーカーがあって、そちらが飛んでしまったようだ。)、PCのサーバーが今度は立ち上がらなくなった。
帰ってきたnanuさんがコンセントを入れ替えたりスイッチを押したり長押ししたが動かなかった。これも人にお願いして診てもらうことになった。
結局、その時のショックでおじゃんになってしまったらしいが、幸いバックアップは生きており、私が金曜日に修正を掛けた書類がちゃんとそのまま出て来たので、大きな問題がないように思う。

午後からは会議もあり、お茶を出したりしながら、ちょっと不安ながらも大きな影響はなかった。

しかし、これからはエアコンはこんなに寒いと2台までしかつけられないね、と言うことになった。
申し訳ないが、魚達の部屋はこちらが暖かくなってからドアを開けて空気を送ることになるであろう。

G子が怒る

2012-12-09 | 友人
夜、寝ようとした所でG子から電話がきた。

T男から連絡が来るようになったと言う報告と、会社の話だった。
私は内心(えぇ。。。)と思った。
「T男に会社の話をすると怒るから」と言い、M君とはその話題で「話してもしょうがない」と一方的に電話を切られたと言うので、「どうしてそんなにあちこちでケンカするの?」と言うと、「誰とよ!」と言うので、「例えばT男もそうだし、会社でも、入ったサークルでもケンカして、M君ともそうでしょ、それからその前に留学生ともケンカ別れしてたよね。私ともいつか大喧嘩したじゃない。」と言うと怒ってしまった。

「sakeちゃんは友達がいないじゃない!サークルにも入らないからケンカにならないだけじゃないの!」
と言うので、(あぁ、こう言う挑発的な言い方でこの前は大喧嘩になったんだわ)と思ったけど、このまま黙っているのがシャクなので、「私は会社には行ってるよ、そこではケンカにならないよ、みんなと仲良く仕事をしてるよ。」と言うと、「sakeちゃんの会社と私の会社は違うじゃないの!そんなの比較できないでしょ!」とまた怒り出し、「私が労働局や弁護士と相談して社長と争うのがどうして悪いの?!悪いのはどっちなのよ!それじゃ、sakeちゃん、隣の人が言われも無く大声を出したり迷惑掛けたらどうするの?」と言うので、「引っ越すよ」と言うと、「それじゃマンションを買ってたらどうするのよ、さぁ言ってみなさいよ、どうするのよ!」とガンガン言うので、「まず、下の人や周りに住んでいる人に相談すると思う。それで味方につけてくと思う。」と言った。

するとG子は黙った。

「そうだよ、まず周りを固めるよ。相手に向ってはいかないよ。」と言った。
「このままだとまた私たち、いつかみたいにケンカになるよ。別に私はこのまま黙ってやり過してもいいよ、でもあちこちでそうなるなら、言っておいた方がいいのかなと思って言ってみたんだよ。」


するとG子が泣き出した。

誰かに「正しいよね」と言ってほしいのだ。
あなたのした事は間違ってない、正しかった、と言ってほしいのだ。
どんな時でも自分の味方になってほしいのだ。

でも、それを言ったら、また年中電話も掛かってきてしまう、長々と仕事の愚痴を聞かなければならなくなってしまう。私には私の生活がある。私の価値観がある。
全部全部をG子にあわせる訳にはいかないのだ。

そう、遠い関係の友達なら「そうですよね、本当にそう思います」とペラペラ言えるだろう。
でも、今それを言ったら、また年中電話が掛かってきてしまう。
それに合わせなきゃならない事を「友情」と呼ぶなら、だから私は友達が要らないのだ。


私にだってG子の気持だった頃もあった。
誰かが自分をいつも受け止めてくれて、いつも「そうだね」って言ってくれたら、どんなに楽だろう。
でも、朝も夜もケアしてくれるそんな人はどこにも居ないのだ。

「居ないのだ」と全否定するのは、ちょっと違うのかな。
厳密には「居るかもしれないけれど、それを求めてはいけない」のだ。
だから、「居ないのだ」で良いと思う。
みんな忙しいし、自分のことで精一杯。
ドライだけどそれでいいと思う。最初は情けを掛けても、最後はそうなる。

お互いが50年近く生きてきて、それぞれプライドや、しきたり、価値観を育ててきた。
それぞれに自分の心地よい考え方があるのだ。
だから、うまくやって行くには、「どっちが正しい」とか「あたしはこうなの」ではなくて、「私はこう思ってきたけれど、あなたの考え方もいいね」と(形だけでも)答えることではなかろうか。

価値観は一つだと思うから、違う意見を言われると「自分が否定された」気になって腹を立てるのではなかろうか。

そして肯定するのは人に任せず、自分で自分をウソでも褒めてみよう。
人の価値観に頼らず、自分でいいところを探してみよう。
そうすれば、だんだん自分も好きになれるのではなかろうか。

この世の課題

2012-12-08 | 健康とか病院とか
今日は婦人科に行った。
前回婦人科を尋ねた時に「半年経ったらまたいらっしゃい」と言われると、何となく無視できないのが今の私であった。ついでに乳がん検診もすることにした。

最近届く喪中はがきを見ると、つい年齢をみてしまう。
昔は祖父母の喪中ハガキだったのが、いつしか父母となり、今年は初めて兄が、と言う喪中ハガキが届いた。(何だかショック。。。)

K女史のお母様は50半ばで亡くなったそうである。元義父も50代半ばである。
中村勘三郎さんも57だと言う。
57となると、あと10年ではないか、と私は思う。

あと10年!
こう思った時、トンカチでガンと叩かれたような衝撃を受ける。

この世に未練は無いなどと言いながらも、あと10年と思うと、急に命が惜しくなってくるから不思議である。
そして、まだ「いいのいいの、その時が来るまでドンと構えましょ」みたいな太い神経は持ち合わせていない。

あぁ、せつない。


そんな中で、検診と言うのはハードルが高くなった。
何か見つかったらどうしようと朝からドキドキしてしまう。
子宮がんは行ってれば発見が早ければどうにかなるんじゃないか?なんて(素人なりに)勝手に思っているけれど、乳がんは重みがある。

って言うか、そう言う事を考えるストレスで今にも細胞がジワジワ異変を起こしそうな気がする。
そして、気がかりなのは、私の今後の課題。

課題と言うのは、この世に生まれて死ぬまでに学ぶべき「課題」である。
人にはそれぞれ「課題」と言うものがあって、死ぬまでに「ここまでは経験しましょう」と言う課題を持って生まれてきたのではないか?と(これも素人なりに)勝手に考えている。

そして、私はその「課題」をなんせ優秀だから(←皮肉)、どんどんどんどん早く終わらせてしまっているような気がするのだ。

子供も育ったし、離婚もしたし、1人で生きてく覚悟も身につけたし、最近では周りに感謝もしてるし、あと何が残っているのだろう、私をギャフンと言わせるには次は「病気」辺りじゃねーかなんて思ってしまうのです。

60とか、65ぐらいの人に「どう思って毎日過していますか?」と私は訊きたい。
そのぐらいの年になると、自分と同じぐらいの芸能人や友達が一人二人とあの世に行くのである。
それに対する意識はこれどころでは済まないはずである。
そこにはある種の腹の括り方があるはずだ。
それとも、その年になっても、検診とは怖いものなのだろうか。

せめて、毎日睡眠を多めに取って、家に帰ってからは好きなことをしよう。
食事や運動法までは気は回らない。けれど、それも長生きの秘訣になるかもしれない。
自分で試してみようと思う。

ETOさんの息子さん

2012-12-07 | 今の会社
今、うちの仕事を手伝ってもらっているETOさん。
現場も終わりに近づいて、書類を整理している。

あと数枚、現像したい写真を携帯カメラで撮りましたと言うので、それでは私のPCにメールしてください、と言うと写真をメールで送るのは初めてのようである。
「私も携帯メールはよく分からないのですが。。」と言いながら二人で携帯画面を見ながら送ってもらう。

「そうすると、こうしてプリンターで印刷できるんですよ。」と言うと、ETOさんは驚いていた。

ETOさんはもう60を過ぎ、年金生活さながら、こうしてあちこちのお手伝いをしているようであった。
「ここの仕事を終えたら、ゆっくりされるんですか?」と尋ねると、「いやぁまだマンションのローンがありますから、70まであるんですよ。」と言う。

「でも、万が一死ねばローンはチャラなんです、カミさんはその方が喜ぶかも。(笑)」
「まさか!そんなことありませんよ。」

私はそんな事を言いつつ、「もうお子さんも自立して奥さんとお二人なんですか?」と尋ねると、「それがですね、まだせがれがいるんです。」と言う。

そしてETOさんは息子さんの話を始めた。
二十歳前に大きな病気が見つかり、(生死に関わるような病気であった)手術をして命は取り留めたが、それをきっかけにひきこもってしまったのだと言う。

「それが、やっとここで仕事を探してみつかったんです。もう31ですよ。」
「そうなんですか!そんなに長い間、どんなに心配だったでしょう。」
「家内はいろいろ言いましたが、私は言いませんでした。せがれも言われる家内には話をしませんでしたが、私には少しは話をしましたかね。」
「何がきっかけで仕事を始めたんですか?」
「娘達が我慢できなくなって、強く言ったようですよ。」
「それで?」
「仕事を探しに行きました。」
「うちの息子も実はしばらく家に居て、やっとバイトを始めたんですよ。」
「そうでしたか。」
「ETOさんはそんないろいろな事を乗り越えてきたんですね。」

すると「誰にでも何かしらあるものですよ。」と笑った。

「こんな事だったら、私も何か強く言っておればもっと早く外に出たのだろうか」と言うので、「そんなことありませんよ!お父さんが黙っていてくれて、息子さんも心を許せたのだと思います!」と私は言う。

つい私は「何がきっかけで?」と尋ねてしまうのだけど、それは千差万別、そしてやはりタイミングがあるように思う。
きっかけだと思うことは、充分に時期が来ていてあくまでも「きっかけ」であり、「解決方法」では無いのだろう。。。

ETOさんは「いや、長かった。それまで国民年金も払い続けてきたんですから。でも、外に出ることはいいことです。バイトでも何でも。それでまた考えますから。」と言うので、私も「ハイ」と返事をするのだった。

そして、私は希望を持った。
私ができることは、その時期が来るまで自分は元気で稼いで、一緒にご飯を食べること。

kekeが健康であることだけでも、充分に感謝できることだと知った。

我ながら年賀状

2012-12-06 | 今の会社
私はみんなが帰った後に残り、一人で事務所に居た。
小さなプリンターでカカカカ・・と年賀状を一枚づつプリントアウトしていたのである。

今年は1枚60円の写真用のハガキを買って、完成写真などを入れながら我ながらきれいに仕上げているのである。
私はそれを見ながら、「うん^^」と一人満足していた。

うちの会社は年賀状用ソフトがないので、宛名は封筒に貼るラベルシールにワードの差し込み機能を使って印刷して、それをペタペタ貼っている。
(直接ハガキに印刷することもできるのだが、プリンターの調子で郵便番号がずれたりするのがイヤなのだ。)
それも既に準備ができていた。

会社の現場写真・ハガキ用の家庭用プリンターは酷使され過ぎていて、最近調子が悪く、時々カックンカックン言って、曲がってしまうことがあった。
今日はそれがなく、とても調子が良かったので、私は今日一気に印刷してしまおうと思ったのだ。

しかしもう7時半になろうとしていて、周りには誰も居ない。
末広がりに8枚づつプリントアウトしていたが、もう今日はおしまいにしよう。
あとまだ30枚ぐらい残っているけど。。。。

と、私は会社を後にした。

翌日の朝、私はちょっとだけ早起きして会社に向かった。
頭の中は年賀状モードになっていて、今日全てカタをつけてしまおうと思ったのである。
そして着替える間にも、昨日の続きをプリントアウトした。

そしてペタペタ、ラベルを貼っているとnanuさんが「年賀状っていつまでに出すんだっけ?」等と言っている。
「24日ぐらいですよ。」
「そんな早かったっけか?喪中って誰かいたっけ?」
そして、課長に「喪中ですか?」等と直接尋ねている。

さて、あと数枚となり、「あ、ここは引越しして住所が変わったんだっけ」みたいな所は手書きで宛名を書いてしまうことにした。

「やっぱり写真用インクジェットにして良かった」と私はふたたび満足げに年賀状を眺めた。

そして、その時に気がついたのである。
会社の電話番号がどう見ても間違っているのだ。

最初は自分でも信じられず「そんなバカなはずがない」と思ったが、何回見ても間違えているし、どのハガキを見ても、全て会社の電話番号が違っている。(当然と言えば当然ではあるが。)

この瞬間、私は石になり頭の後ろから、nanuさんから「この図面、○○さんに送ってくれ」と言う声が聞こえて来た。
「分かりました」と言って図面をメールで送るも、ラベルまで貼り終えた山のような年賀状を前に、私は事の重大さを隠し普段通りにしばらく過ごした。

「なぜ、今まで気付かなかったのだろう、そしてなぜこの場に及んで気付いたのか。」
そもそも年賀状の電話番号を見て電話をする人間がいるのだろうか。

でも職業柄、4年も5年も経った後で用事ができて「あ、年賀状があったっけ」と電話をする人はいるかもしれない。
「ただ今この番号は使われておりません」となったら、インターネットでも探すツールは幾らでもあるではないか。

そんな風に思いながらトイレに入って出てくると、nanuさんが「さっきのメール、宛名の字が違ってたぞ」と言い、「俺の名前で誤字を出すな、みっともない」等と言うが、私からすれば、そんなチンケな問題なんてどーでも良いことだ。

こっちは百何十枚もの年賀状全て電話番号を間違えているのだ。

このまま気付かなかったフリして、ポストに投函するか。。。
一か八かで誰も気づかないかもしれないから。。。

私はもうしばらく普段通りの顔をしていたが、いずれにせよ、この代物をまだ20日近く机の中に隠し何も知らないフリを続けるのは苦しい事態だと考え、誰か一人に「もうそれで出してもいいよ」と言われれば、この後ろめたさから逃れられると考えた。

私はフラリフラリとAさんの所へ(直線で進まず、ためらうように円を描きながら)近寄ると、指をさしながら小声で「これでもいいかしら。」と言った。
そして本来、深刻な事態に関わらず、あまりの自分のアホさ加減にここでも「ぶっ」と吹き出してしまうのだった。

「ダメでしょう。」
「・・・やはりダメですか。」
「nanu、見てよ。」
nanuさんも覗きながら「ダメだな」と言った。

「問題は、(新しく買う)金だけだろ?」
「(結局の所)そうです。」

そして私はそのまま無言で郵便局に向かった。

とぼとぼ歩いて行くなかで「あれ?書き損じのハガキって交換できたんじゃなかったっけ?」と言うことを思い出したのである。
問題は、年賀状に交換ができるかだが。。

郵便局で事情を話すと手数料15円(1枚に付き)で同じ年賀状に交換してくれるそうである。(写真用でなければ1枚5円で。)
本当に助かった!!
さすが、古き良き日本の伝統ここにあり。

郵便局の人もたまげながら「ここまでせっかく作ったのに、何が違うんですか?」と言うので、「電話番号が違ってたんですよ。」と言うと、納得してくれた。

そして、私は「こんな優しいサービスは郵便局ならではですよね。ホントに助かりました。」と言うと、「ちゃんと手数料いただいてますから。」と笑顔で答えてくれる郵便屋さんなのであった。

自慢話

2012-12-05 | 息子keke
この前美容院で髪を染めてくれた人は、久しぶりの担当だったので「その後、息子さんは戻ってきましたか?」と尋ねてきた。
kekeが大学を辞めるとか、戻ってくるとか、そんな頃に話をしていたのだ。

私は「あぁ学校を辞めて家にいるんです。」と答えた。

「今はどうしてるんですか。」
「まぁバイトをちょこっとしてます。」
「ちゃんと働いてほしいですね。」
「まったくそうです。しょうがないものです。」

私は調子づいて、「まったく、ここまで育ててきて言う事もきかずグータラとは情けない!子供って言うのは、振り返ると一体何だったんだろうと思いますよ、まったくもう。アハハハ!」と言うと、美容院のニイちゃんも手伝っている姉ちゃんもドンビキしている。
そうだ、彼らはkekeと同世代なのだ。
私は自虐ネタのつもりでも、kekeと同世代の子にとっては自分が親から言われたら、と思ったのかもしれない。

私は大きく反省した。
今まで、本人が居ない所でそんな事ばかり言っていたのだ。
自分の子供のいい所は一つも言わず、悪い事ばかり言っていたのだ。
それはとても失礼な事だと思った。

これからは自虐ネタは自分だけにしようと思った。
いや、そもそも自虐ネタを言う必要があるのだろうか、とも考えた。
それは人との会話のツールではあるけれど、それを酷使しなければならないような関係があるのだろうか、とも考えた。

自分の周りで「いいこと探し」を始めたら、何となく毎日が変わったように、kekeや自分のことも「いいところ探し」を始めたら、何かが変わるかもしれない。

それが例え、独りよがりな世界でも構わない。
誰が私の事を何て思おうと、もう私自身が毎日楽しい事が大切なのだから。

もう自虐ネタで他人を安心させるよりも、自分が日々楽しいことを優先させることにした。
そんな事をあえて「宣言」しなければならないほど、私はある意味卑屈な人間だったのだ。

昨日、G子から電話が合った時、「keke君がバイトを始めた話を聞いて、娘も喜んでいたよ」と言うので、「週末、私が具合が悪い時にカレーを作ってくれたんだよ」と言う話をした。

「私ね、これからkekeのこと、いい話を人にすることにしたんだよ。今まで悪い事ばかり言っていたから反省したんだ。」と言うと、G子は分かっているのか分かっていないのかよく分からないけど、「いいことだよ」と言う。

そして考え始めると、kekeはいいところがいっぱいある。

例えば、出勤時間がほぼ等しいけど、洗面所もトイレも奪い合いにならないのは、私が使っている時はkekeが決して使おうとしないからである。(つまり奥ゆかしい)
イビキもかかないから、眠りを妨げない。

逆に私が早起きでゴソゴソしてても怒らない。
それから当然のごとく、無駄遣いもしない。

昨日は切れた蛍光灯を変えてくれた。
一緒にラーメンを食べた。
夕飯が遅くなっても文句を言わず、まだできあがっていないのを知ると「先に風呂に入る」と言った。

そうだ、kekeは自分から怒る事が無い。
自分から「もっと○○しておいてくれればいいのに」と言うことがない。
他人に期待しない子供なのだ。

私がkekeに「ああなってほしい」「こうなってほしい」と言うのがなければ、極めて関係はスムーズなのだ。
今度、ゆっくり食事をする機会があったら、そう言う所を話にしてみよう。

私はそうやってなにげに「自慢話」を習慣にしていこうと思い始めた。
相手の上に行こう、行ってやろうと言う気持があると「自慢話」になるかもしれないが、私の場合は最初からそうは思っていない。不愉快な「自慢話」にはならずに済むのではないか・・・と思っているのだが。。。

どんな仕事でも

2012-12-04 | 友人
G子から電話がきた。

「T男の携帯とつながらなくなった」と言う。
「何がケンカの原因なの?」と問うっても分からず、T男が「今日は飲みに行こう」と言うのを「お酒じゃなくてお茶がいい」と言ってケンカになったのだと言う。

G子は先週は疲れて飲める体調じゃなかったんだ、と言い、クビを宣告されたんで労基署とか弁護士に連日で相談に行ってたんだ、と言う。
それを盾に社長に詰め寄ったら、最終的には社長が折れてクビも解除され、残業が多いことも社内で怒鳴りつける人も改善されることになったのだ、と言う。

私は「法律を盾に社長に詰め寄った」と言う時点でビビッてしまい、「よくそんな事ができたね」と言うと「M君も同じ事を言ったけど」とG子は言い、「あの人には何回言っても分からないの、sakeちゃんなら分かると思うけど」と言い、「経営者と労働者は同等の権利があるのよ」と言う。

「いや、そうじゃなくて、そう言うことをしたらますます居辛くなるような事になるんじゃないかと思って、なかなかできないなぁって思ったんだよ」と言うと、「だってクビだよ?仕事探すの、どれだけ大変だと思う?何年も働いているsakeちゃんと違って退職金も無いに等しいのよ。」と言う。

そんなに大切な仕事なら、もうちょっと感謝をして働こう、だって最近のG子は「いつ潰れるか分からない」「賃金カットの噂がある」「こんなに夜遅くまで働かされて」と言う愚痴しかないんだもの、と言いたかったけど、言えなかった。言ってもその後お互いに不愉快な思いをするだろうから。

いざクビを宣告されると、そんな職場でも辞めたくなくなるのかもしれない。
私は「離婚」を思い出した。
普段、あーあと思うような旦那でも、いざ浮気されたり「離婚」宣告されたりすると、「離婚なんてするものか」と思ってしまう、その心情を充分に思い出すことができたから。

それにしても、うちの社長が私をクビにしようとして、それに対して私が労基署とか何とかテラスに駆け込んだら、どういう顛末になるだろう。想像するだけでも末恐ろしく、百歩譲って会社に復活できたとしても給料が極端に少なくなるだろう。うちはそう言う所だ。

それを思えば、G子の社長さんはどんなに温和な人なのだろう。
社員の訴えを最終的に受け入れてくれたのだから。


そして、私もいつかクビを宣告される日が来るかもしれない。
私の場合はそうなったら受け入れるしかない。
それに足掻くことは周りの目から見ても脅威で、ドンビキの一言の環境下である。
その事を想像しない日はないが、今はkekeも稼いでくれている。
どんなバイトでもいいから見つけて、二人で肩寄せあって生きて行こう。
(kekeは肩寄せてまでして、生きて行きたくないと言うかもしれないが。)

それを思うと、年取ってなお掃除の仕事をしているオバサン、自転車の整理をしているオジサン、携帯や車関係の営業の電話、みんな必死で稼いでいるのだ。
私もやがてはその仲間入りをするのだろう。
それでも頑張れ私。
もはや、めげることはない。
生きていく、それだけで充分な価値があると自分に自分は伝えよう。

それを肝に銘じて、だから誰をもぞんざいには思わないようにしよう。
それ以上踏み込まれるのが怖くて、電話は最初で断わってしまうけど。

気まずい待ち時間

2012-12-03 | その前の会社
この前、美容院で順番待ちをしていると、見覚えのある中年女性が入ってきた。

「ん?誰だったっけ。。。」少し考えると思い出した!◎◎

昔社長がつきあっていた女経営者である。
自分もそうだが、彼女もまさかここで知り合いに会うとは思わなかったのだろう。
テキトウないでたちでオーラがまったくなかったのである。

しかし、この至近距離、無視するわけにはいかぬと、挨拶するタイミングを見計らっていると、やがて彼女は視線に気付き、数秒後「私」だと分かったようで、「まだ(前の社長)の所にいるの?」と笑顔で言うので「今は○○社長の所にいるんです」と言うと、「また戻ったのね」と話はそれきり終わった。
(私は話の続きをするべくチラッと彼女を見るが、彼女は話したくない様子。。)

すごいきまずい。。。(-_-;)


(その当時の回想)社長は私に「オレは(女経営者の旦那さん)に頼まれたんだ」と言った。

何故、そんな弁明めいた事を言い出したのか分からないが、ある日突然言ってきたのである。
女経営者の旦那さんが浮気をしていて、「女房にも他に恋愛しておれば文句も言わないだろう」と思ったそうで、それをうちの社長に頼んできたのだと言う。(あくまでもうちの社長経由の話であるが。)

私は社長が急にそんな弁明めいた事を言い出したのにも驚いたが、その意味を

A)オレは不倫なんてする男じゃないけど、頼まれたから仕方が無いんだぜ。
B)オレは(あのような人)と付き合う男じゃないけど頼まれたからしてるんだぜ。

当時はAなのかBなのか迷いあぐねていたが、今なら分かる。
間違いなく「B」だったのだろう。あの人ならば。

そんなことだから、あっという間におじゃんになり、会社同士の取引もなくなったのだ。
そして、こんな場所で顔を合わせてしまう事務員はなんか気まずいのだった。。。

そう言えば時々業社(検索に掛からないようにわざと誤字にしました)さんにも時々勘違いする人がいるのだが、まさか私が社長と密接な関係があるなんて思われてないよね。。。

そんなことありませんから~><

私とあの人は、言うなれば水と油。(私は水の方)
言うなれば赤と青。(私は青の方)
言うなれば、火山噴火と静寂。(当然私が静寂)

うぅ。。。。

その方はとても気の利くリンとした感じの女性なのですが、何だかとても遠く感じたのであった。
(たぶん、私の事は名前も知らないだろうけど。)

もっとお話したかったデス。

sakeの歩窓から

2012-12-02 | 車の練習
図書館の返却棚にあったので借りてみた本↓

「かわいい写真を撮る方法。」
本には「私たちの日常にはステキな瞬間がたくさんあります。」とあり、それを写真にするコツが書かれている。

読んでいるうちに「もしかしたら私の身の回りでも撮れるかも?」と言う気持になってきた。。。

さっそく。。。。。


プラットホームにいる鳩の写真。↑


とある、舗道。↑


みつけたサンタさん↑


とある、窓


・・本を読んでもセンスが無いと難しい。。。(-_-;)