最近毎日窓から空を見ているが、やはりこの頃は朝焼けの空がボヤけていると思う。
建物の隙間からわずかに見える遠くの朝焼けの色がボヤけている。
今日もチラチラ空を見ながら、すっきりと青い空だったら「出掛けなきゃ」と思ったかもしれないが、こうしてだらだらしたまま、過ごすのだった。
ゴロゴロしながら読んだのは「全思考」北野武さんの本である。
これまた読みやすい本で、昨日接骨院で待っている間からチラチラ読んでいたのだが、読み終えてしまった。

北野武さん、すなわちあのビートたけしさんが、映画監督のオエライ人になった今も、時々わけの分からないかぶりものをかぶってTVに出ているのが不思議で不思議でならなかったが、この本を読んでそれが解明した。
北野武さんは、偉くてお金持ちでみんなから称賛されてお高く留まっているのがどうやらキライな人のようである。世界のタケシになってからも「タケちゃん」と言われてお茶の間に愛されている存在であることをヨシとしたい人なのだ。(というのはあくまで本を読んだ私の感想です、実際にタケちゃんと呼ばれたいとは書かれてません。)
シリアスな映画監督と、かぶりものの二束のわらじを履いていたい所が何となくこの方のかわいらしさのような気がする。どこか照れ屋さんなところがあるのでしょう。本を読むと、武さん尊敬する師匠もそういう照れ屋的な所があったそうである。
外国では映画監督の北野武さんしか知らないファンも多くて、日本ではコメディアンというのが本当か嘘(あれは別人)かで論争もあったそうである。中でもフランスの北野武ファンクラブの会長と副会長さんにも、「日本ではコメディアン」というのを信じないので、武さんじかじか、自分のVTRを送って「自分はコメディアン」だと教えてあげたそうだ。それでもまだ信じないので、日本に呼んでかぶりものをしてTVに出ている自分の姿を生で見せてあげたと言う。
やなせたかしさんもそういう姿があるけれど、本当にお金があるというのは、自分のお金を使って自分がどう楽しむかを考えるのではなく、このお金でどうやって人を楽しませようかなと考えるのだろう。だから人から好かれてますますお金がたまるのではなかろうか。と思うと、いっぱい稼いだお金で自分だけがおいしい思いをして「これはオレの実力だよガハハ」なんて言っているのは、金持ちとしては二流なのだ。(もっとも稼げない私はさらに四流・五流でありますが・・)
「オレ様を誰だと思ってるんだ」なんて、やなせさんも武さんも言わないだろう。そんなことを言う必要もない。
だって、思うようににふるまっていれば、その魅力でみんなが認めてくれるから。
お金なり地位があることで・・・自分を認めさせようとする傾向の人もいるけれど・・本当の魅力とは・・・黄門様の印籠のように出すものではなく、出さない所にあるような・・・それはもうお金のある・ナシではない。それはその人の・・・生き様みたいなものではなかろうか・・・?
あるがままの自分を受け入れられたら、あるがままの人も受け入れる。
そして心に余裕をもって、ニコニコとできたら。。。
この本によると、武さんの映画は「分かる人に分かればいい」というスタイルのようである。でもたまにお客受け(ヒット)するような映画も作ることにしているそうだ。お客が入る映画も作ろうと思えば作れるよってアピールもしたいし、スタッフもその方が楽しいからだって。
3連休半ばなのに、もうこんな時間になっちゃった。
さて、お墓参りの準備でもしようか。。。。
建物の隙間からわずかに見える遠くの朝焼けの色がボヤけている。
今日もチラチラ空を見ながら、すっきりと青い空だったら「出掛けなきゃ」と思ったかもしれないが、こうしてだらだらしたまま、過ごすのだった。
ゴロゴロしながら読んだのは「全思考」北野武さんの本である。
これまた読みやすい本で、昨日接骨院で待っている間からチラチラ読んでいたのだが、読み終えてしまった。

北野武さん、すなわちあのビートたけしさんが、映画監督のオエライ人になった今も、時々わけの分からないかぶりものをかぶってTVに出ているのが不思議で不思議でならなかったが、この本を読んでそれが解明した。
北野武さんは、偉くてお金持ちでみんなから称賛されてお高く留まっているのがどうやらキライな人のようである。世界のタケシになってからも「タケちゃん」と言われてお茶の間に愛されている存在であることをヨシとしたい人なのだ。(というのはあくまで本を読んだ私の感想です、実際にタケちゃんと呼ばれたいとは書かれてません。)
シリアスな映画監督と、かぶりものの二束のわらじを履いていたい所が何となくこの方のかわいらしさのような気がする。どこか照れ屋さんなところがあるのでしょう。本を読むと、武さん尊敬する師匠もそういう照れ屋的な所があったそうである。
外国では映画監督の北野武さんしか知らないファンも多くて、日本ではコメディアンというのが本当か嘘(あれは別人)かで論争もあったそうである。中でもフランスの北野武ファンクラブの会長と副会長さんにも、「日本ではコメディアン」というのを信じないので、武さんじかじか、自分のVTRを送って「自分はコメディアン」だと教えてあげたそうだ。それでもまだ信じないので、日本に呼んでかぶりものをしてTVに出ている自分の姿を生で見せてあげたと言う。
やなせたかしさんもそういう姿があるけれど、本当にお金があるというのは、自分のお金を使って自分がどう楽しむかを考えるのではなく、このお金でどうやって人を楽しませようかなと考えるのだろう。だから人から好かれてますますお金がたまるのではなかろうか。と思うと、いっぱい稼いだお金で自分だけがおいしい思いをして「これはオレの実力だよガハハ」なんて言っているのは、金持ちとしては二流なのだ。(もっとも稼げない私はさらに四流・五流でありますが・・)
「オレ様を誰だと思ってるんだ」なんて、やなせさんも武さんも言わないだろう。そんなことを言う必要もない。
だって、思うようににふるまっていれば、その魅力でみんなが認めてくれるから。
お金なり地位があることで・・・自分を認めさせようとする傾向の人もいるけれど・・本当の魅力とは・・・黄門様の印籠のように出すものではなく、出さない所にあるような・・・それはもうお金のある・ナシではない。それはその人の・・・生き様みたいなものではなかろうか・・・?
あるがままの自分を受け入れられたら、あるがままの人も受け入れる。
そして心に余裕をもって、ニコニコとできたら。。。
この本によると、武さんの映画は「分かる人に分かればいい」というスタイルのようである。でもたまにお客受け(ヒット)するような映画も作ることにしているそうだ。お客が入る映画も作ろうと思えば作れるよってアピールもしたいし、スタッフもその方が楽しいからだって。
3連休半ばなのに、もうこんな時間になっちゃった。
さて、お墓参りの準備でもしようか。。。。