「度支彙凾」「明和繁雑帳・會所舊記」をご紹介してきたが、膨大な量なので続けているとタイピングにあきが来てしまう。
今回は同じ「藩法集7熊本藩」にある「雑色草書」をしばらくご紹介することにした。ご理解のほどを・・・・・・
先達て町方帳面之内目録出来いたし、右之内、日帳目録之口ニ記置通、式ニ成候儀も、帳面之内ニ有之事ニハ候
得共、目録打出ニいたし置迄ニてハ、日帳吟味と申場ニ心付申間敷儀も往々相見、間違も可有之哉、何れ已来
ケ様なと式ニ成候類は、兼て見馴居不申候ては難成事ニ候、依之市井式稿ニ有之事之内變し候儀、然處新ニ格式
立候儀等ニて、式稿ニ頭書も難成類段々有之候ニ付、此類其外ニて兼て見馴居候て便りニも可相成儀等相撰ミ、
此一冊ニ記置候條、式稿葉不及申此内ニても後年改り候節は、其稜々ニ頭書を用、新ニ格式立候儀、其外見合ニ
も相成有之候ハヽ、無怠慢書継可申事
一此一冊ハ、大體引取書同前ニて旨趣分り候迄ニ付、其時之文章てにをはまても入用之節ハ、其帳/\を直ニ可致
吟味事
一此内ニも、式稿ニ有之事ニ類し候稜も有之候、事ニ臨ミ彼是通して可遂吟味候、此段最肝要ニ候事
天明ニ壬寅年八月
一
一十五歳以下之者えは、駄賃馬牽せ不申様ニ心を付可申旨、馬指へ申聞候事
右寶暦十年十月日報
二
一來年本座行司、新坪井町米屋清四郎被仰付度段、大夫より相達候ニ付、年行司帳本平町人より相勤候儀も有之
候哉と尋候処、平町人年勤候各は無之候儀も有之候哉と尋候處、平町人相勤候格は無之候得共、新坪井町
本座少ク、外ニ相勤候人柄無之由ニ付、其通及達候事
右寶暦十年十月日報
三
「此儀付てと相見、江戸四座之大夫次第等及問合候趣、委細江戸扣ニ有」
一當正月御謡初之節、両座行司座着致前後候、以来御謡初其外不時御祝事等ニて両座年行司罷出候節ハ、座ニ不
拘身之次第ニ座着可仕旨、此段後年共ニ違却無之様可申談置旨達之事
右寶暦十一年十月日報
四
一他国之六部千ヶ寺参巡禮等之類、往還筋之外猥ニ致徘徊候儀ハ難成事候處、猥敷趣相聞候、右付て寺院幷町家ニ
て笈を預候者ハ、急度可被仰付候、且又浄瑠璃語等之旅人、芝居興行相濟候上ニても相滞、旅人問屋外ニも止宿いた
し候様子ニ付、芝居興行相濟候ハヽ早速本所へ指返、問屋外ニは堅宿仕せ間敷旨達之事
右寶暦十一年十月日報
五
一町家之者、出火之節御家中馳付之日雇ニ相成居候者共、於火事場、町火消ニ對し狼藉之仕形有之段兼て相聞不届
ニ候、以来右躰之儀於有之ハ、屹ト可被仰付段達候事
右寶暦十ニ年八月日報
六
「元文三年十一月十八日御沙汰御家老中ハ五段松也」
一先年御家中門松、都て三段松被仰付候節より町家之者も三段松建候由「寶暦二年十二月五日御觸」近年御家中
之門松、以前之通相成候已後五段松建候者も有之、區ニ相聞候、尤町家之者ハ買調候事ニ付、五段・三段勝手次
第相心得候様達之事
右寶暦十三年十ニ月日報
「天明二年十二月、御家中え相渡候門松、来年頭よりは三段松被渡下候由、尤建山所持之面々は今迄之通勝手次
第之段達有之候、町家ハ相對ニ買求建候ニ付、此節は不及達候事」
七
一丁頭申付も御町方口之間、別當被仰付候節も同所ニては、不都合ニ付、今度中古町市原惣五郎別當被仰付候節よ
り相改り、別當役は佐貮役申渡ニ相成、堅メ之儀ハ今迄之通御町口ニて申付候事
右明和元年五月日報
八
一御家中小路家舗内所々ニ紺屋職之者致居住、染物を干候様子ニ相見、甚不見分ニ候、御家中屋敷ニて致染物候儀、
急度指留可申段廻役え書付相渡候事
右明和元年八月日報
九
一町内之者調合之鹽焇致商賣度者は、向後願出被指免候上、御中小姓已上えは手形を取、其以下えハ請人相立賣渡、
若吟味之節ハ為證據右之書付指出候様、左も無之於致商賣ハ可為越度段及達候事
右明和元年十月日報
十
一長崎え為稼罷越候者付てハ、彼方御奉行所時々御改有之候由、依之問屋之外脇宿仕間敷趣、市中え御觸有之候付
て、此元より長崎え罷越候者、問屋外相對宿不仕様、且廻船ハ積荷も有之事ニ付改を請致水揚候様、風波之難ニ
て、彼地え致廻着候ハヽ、紛無之趣問屋より證文指出、改を受致水揚筈候段、長崎より申來候趣達之事
右明和元年十一月日報