津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

出久根達郎氏

2006-05-01 18:21:26 | 徒然
 日本エッセイスト・クラブ編の、87年版のベスト・エッセイ集をインターネットで安く手に入れた。59編のエッセイが紹介されているが、錚々たるお歴々の名前が並んでいる。毎年ではないが、「とり」をとった人の作品名が、その年のエッセイ集の書名に使われていることが多い。87年のとりは出久根達郎氏であり、作品名は「おやじの値段」。読み進んで行くうちに、この作品はすでに読んでいることに気がついた。おかしいなと思って本棚をひっくり返すと、氏のエッセー集「思い出そっくり」の中にあった。改めてベスト・エッセイ集を眺めてみたら、氏の紹介に「芳雅堂」主とある。なるほど、なるほど・・・直木賞受賞(93年・佃島ふたり書房)以前にこんな処に顔を出されていたのだ。
 吾がサイトでもご紹介しているK氏は、「警視総監賞」に続いての掲載を狙って頑張っておられる。実はその結果を知っているのだが、伏せておこう。
その洒脱な文章は、出久根氏に相通ずるものがある。
 
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「怨」の幟

2006-05-01 11:09:14 | 熊本
 水俣病患者の方たちの行動の先頭に、かならず翻る「怨」の文字を染め抜いた幟がある。この幟が下ろされる事はあるのだろうかといつも考える。水俣病が公式に確認されてから、今日でちょうど五十年を迎える。患者の皆さんの心の傷は癒されること無く、行政の不作為が続き、原因企業チッソは収益優先の「分社化」が囁かれている。
 かって水俣市は、「水俣病」という名称の変更を画策したことがあった。付きまとう暗いイメージを払拭したいという気持ちがあっての事だろう。負の遺産をばねに、環境再生の街づくりに励む水俣は、穏やかな町に替わりつつある。しかしながら一方では、「怨」の幟が下ろされない現実がある。最高裁判決にそっぽを向く行政は何を考えているのか。苦海の水底は沈黙し、しかし苦々しく眺めているのだろう。
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