津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

島津公の憂鬱

2006-05-14 14:21:03 | 熊本
 かって国道3号線は熊本城内本丸下を抜けていた。城を迂回する幹線道路が無かった。江戸期に於ては、新町口から入り、新堀口へ出たらしい。当然の事ながらいくつもの門があったろう。又、新堀口から出町口までは、約1キロほど両側に侍屋敷が続いていた。例えば薩摩の島津公などは、「大名が通る道ではない」と不快感を示したという。城内に入った処で、前後の扉を閉められたら籠の鳥に成るわけだから、気持ちのいい話ではない。前之宿場を早立ちして、早々に熊本城下をぬけたという。加藤清正によって縄張りされた熊本城だが、そこまで考えられて造られたのだろうか。そう考えると大変戦略的な意味合いが伺える。元々あった往還が、城の縄張りに取り込まれたというのが真実ではないのか。そのように熊本城は大きくなったのである。現在は三号線は大きく迂回しているが、熊本市役所前から、本丸の石垣下を京町口から出町口へ抜ける旧三号線は、今も車の量の多い幹線道路である。
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今日の熊本日日新聞

2006-05-14 08:31:15 | 新聞
 月一回の「中世・動乱の中の肥後 古戦場探訪」というシリーズものが始まった。第一回は「菊池武朝VS今川了俊・水島の戦い」今後が楽しみな企画である。
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