新横綱の白鵬が誕生して、久しぶりの二人横綱での名古屋場所もあと一週間となった。白鵬は土俵入りも熊本ゆかりの不知火型(熊本出身横綱・不知火諾右衛門の型)で応援したくなる。朝青龍はいささか品格に欠けたが、白鵬は良い横綱になりそうな予感がする。
かつて熊本には相撲行司司家の吉田家があった。現当主が経済的問題で行き詰まり、日本相撲協会との関係も修復されないまま、由緒ある吉田司家の屋敷も売り払われ、現在はマンションに生まれ変わっている。かっては横綱の認証自体が吉田司家で行われていたが、相撲協会自身が行うようになり、それでも新横綱は司家を訪れ十三尺土俵で土俵入りをしたものだ。その最後の横綱は、第59代横綱の隆の里(現鳴門親方)、昭和58年名古屋場所で優勝して横綱となった。その隆の里も土俵入りは不知火型だった。
吉田氏を肥後熊本に招聘したのは細川綱利だが、顔をしかめておいでの事だろう。そんな綱利に対して顔をしかめたのは、細川家筆頭家老の松井興長。綱利に対しての諫言の中で「昼夜通しての御酒宴・・・遊興・・・相撲取りの召抱え」など辛らつ極まりない。吉田氏の召抱えはそんな諫言の後の事のようだ。馬耳東風の国主様である。
かつて熊本には相撲行司司家の吉田家があった。現当主が経済的問題で行き詰まり、日本相撲協会との関係も修復されないまま、由緒ある吉田司家の屋敷も売り払われ、現在はマンションに生まれ変わっている。かっては横綱の認証自体が吉田司家で行われていたが、相撲協会自身が行うようになり、それでも新横綱は司家を訪れ十三尺土俵で土俵入りをしたものだ。その最後の横綱は、第59代横綱の隆の里(現鳴門親方)、昭和58年名古屋場所で優勝して横綱となった。その隆の里も土俵入りは不知火型だった。
吉田氏を肥後熊本に招聘したのは細川綱利だが、顔をしかめておいでの事だろう。そんな綱利に対して顔をしかめたのは、細川家筆頭家老の松井興長。綱利に対しての諫言の中で「昼夜通しての御酒宴・・・遊興・・・相撲取りの召抱え」など辛らつ極まりない。吉田氏の召抱えはそんな諫言の後の事のようだ。馬耳東風の国主様である。