細川家三代・光尚の寵臣と言われた林外記のことは先に書いた。何が原因か分からない不思議な事件だが、重役の暗黙の了解があったとも伝えられている。四代・綱利にも出頭の寵臣が居たらしく、松井興長は「諫言」の中にで人事の不当を諌めている。これが果たして誰なのか、未だつかみきれないでいる。五代・宣紀代には神谷矢柄という人物があって、すこぶる評判が悪い。宇野東風著「細川霊感公」から引用すると、「矢柄専権を専にし、重臣等職を去りて家臣困憊殆ど極に達せり」とある。「奸侫朝に進めば、正義の士身を退く慣」にたがわず、江戸家老木村半平・辞職、御小姓頭平野九郎右衛門・辞職、御物頭本庄角兵衛・組下救済を求め割腹するなど、抗議の動きに列挙のいとまがない。藩主宣紀はうすうす承知をしていたらしいが、亡くなるまでの七年の歳月を無為なものにしている。細川重賢は堀平太左衛門を大奉行となし重用したが、これは宝暦の改革の重要な役割を果たした。人物力量が違った。
お隣の屋根の上から、14・5羽ほどのすずめが我が家を見下ろしている。猫のひたい程の我が家の庭に、ここ数日古米を一掴み、日に三度ほど撒いている。これを目掛けて待機しているわけだ。最初は二三羽何処からとも無く飛んでくると、すぐに啄ばむわけではなく、飛び去って仲間を呼んでくる。三々五々飛んできて大賑わいという状況だった。今では14・5羽が目の前で監視していて、撒いたら即の飛来と相成る。「硬いものを沢山食べすぎて、飛べなくなるんじゃないか」などと妻とバカを言いながら、餌やりを楽しんでいる。古米もあと一月くらいは大丈夫だがその後が問題だ。敵は大いに期待しているようだし、さてどうする・・・