津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

徳川家と加藤・細川氏

2007-07-07 18:38:18 | 歴史
 紀州徳川家の初代頼宣(徳川家康十男)の正室は、加藤清正女・あま姫(揺林院)である。細川綱利の正室は、その紀伊頼宣の弟・水戸藩初代頼房(家康十一男)の娘(息・頼重養女だが)だから、あま姫から見れば綱利は姪婿という事になる。そんな間柄での対面など無かったのだろうか。徳川吉宗は徳川家の八代目ということになるが、紀伊頼宣の孫である。綱利の娘「菊」が嫁いだのが、吉宗の従兄弟伊予西条藩の松平頼路であるが、家督相続前に亡くなった。西条藩は弟・頼致が相続、後に吉宗が徳川宗家八代目となると、紀伊徳川家の六代目を相続宗直と名乗る。この宗直女が細川綱利の孫・細川宗孝の正室となる。殿中での不幸な死があったが、跡を継いだ名君・細川重賢の暖かい扱いを受けながら61歳で亡くなった。「紀伊の麒麟・肥後の鳳凰」と噂されたのは、宗孝室の兄紀伊・徳川治貞(宗直子・)と、宗孝の弟肥後の細川重賢のことだが、系図を紐解くと非常に近い関係にある。
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