思い立って久八叢書の「丹後細川能番組」をみている。今日はその内容について述べようとしているのではない。私はこの久八叢書なるもの発行形態については、詳細なる知識を持ち得ないが、刊行に係わっておられる宮園昌之氏が主宰者であろうことは想像に難くない。この「丹後細川能番組」はそのまえがきから、大分の杵築史談会の久米忠臣氏の発案で復刻がなされた事が分かる。丹後細川氏・松井氏の研究者である宮園氏は、明石市在住であるが、その熱意は尋常ではない。お二人の研究を通じての交友が、このすばらしい成果を導き出している。そんな久八叢書の私が知り得る既刊を見てみると
1、松井家の出自を求めて 宮島保次郎
2、過度の久美浜 稲葉 祐
3、松井康之伝(一) 宮島保次郎
4、松井康之伝(ニ) 久米忠臣
5、丹後久美浜湊五軒家 寺島龍太郎
6、九州に於ける関ヶ原戦考 宮島保次郎
7、松井水軍考 村野孝之
8、玄圃藁 常喜山宗雲寺編
9、もう一つの関ヶ原
・丹後編-関ヶ原合戦の先駆け 丹後の攻防
村野孝之
・肥後編-小説「修羅の果て」 蓑田正勝
10、丹後細川能番組
以上であるが、「丹後細川能番組」が2001年7月の発行であり、ひょっとしたら新たな叢書の発行があるのかもしれないが、情報を知らない。熊本県立図書館に於いても(1)~(9)については所蔵しておらず、これだけ素晴らしい著作を熊本県民が目にする事が出来ないのは残念の極みである。細川氏の事跡は、丹後-豊前-杵築-肥後-豊後領と広範に渡り、各地の研究者によってすばらしい研究がなされているが、我々はそのことを知り得ないまま過ごしている。情報を共有しネットワーク化して、このような貴重な資料が公開される事を切望して止まない。
ちなみに杵築史談会・久米正臣氏のご研究「生きていた浅井長政・お市の次男 万菊丸」は、長政の子孫が肥後細川藩、豊後杵築藩に仕え、そのご子孫が営々として現在に至っておられる事をその著書で発表されている。
各地に多士済々、細川学は熊本の地以外で大活躍である。これらの情報は芦屋市在住の田邊城籠城衆の一人(二人だ)寺井氏の提供を受けた事を記しておかなければ成らない。只々感謝である。
1、松井家の出自を求めて 宮島保次郎
2、過度の久美浜 稲葉 祐
3、松井康之伝(一) 宮島保次郎
4、松井康之伝(ニ) 久米忠臣
5、丹後久美浜湊五軒家 寺島龍太郎
6、九州に於ける関ヶ原戦考 宮島保次郎
7、松井水軍考 村野孝之
8、玄圃藁 常喜山宗雲寺編
9、もう一つの関ヶ原
・丹後編-関ヶ原合戦の先駆け 丹後の攻防
村野孝之
・肥後編-小説「修羅の果て」 蓑田正勝
10、丹後細川能番組
以上であるが、「丹後細川能番組」が2001年7月の発行であり、ひょっとしたら新たな叢書の発行があるのかもしれないが、情報を知らない。熊本県立図書館に於いても(1)~(9)については所蔵しておらず、これだけ素晴らしい著作を熊本県民が目にする事が出来ないのは残念の極みである。細川氏の事跡は、丹後-豊前-杵築-肥後-豊後領と広範に渡り、各地の研究者によってすばらしい研究がなされているが、我々はそのことを知り得ないまま過ごしている。情報を共有しネットワーク化して、このような貴重な資料が公開される事を切望して止まない。
ちなみに杵築史談会・久米正臣氏のご研究「生きていた浅井長政・お市の次男 万菊丸」は、長政の子孫が肥後細川藩、豊後杵築藩に仕え、そのご子孫が営々として現在に至っておられる事をその著書で発表されている。
各地に多士済々、細川学は熊本の地以外で大活躍である。これらの情報は芦屋市在住の田邊城籠城衆の一人(二人だ)寺井氏の提供を受けた事を記しておかなければ成らない。只々感謝である。