津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

佐久間不干齋書状

2007-07-16 10:36:27 | 歴史
 何処に入れたのだろうとあちらこちら探して、ようやく探し出した貴重な資料がある。これに関する顛末をまとめておきたい。
 
「久野氏+諸氏ミニ情報」というサイトがある。久野氏についての特化サイトだが、以前熊本の久野氏情報をお送りした事がある。佐久間信盛に仕えた久野次郎左衛門、細川忠興に殉死した久野与右衛門などである。久野与右衛門については、当家初代の兄磯部長五郎が介錯役を務めたということもあり思い入れが深い。前者の久野次郎左衛門は、先祖附から先主が佐久間信盛であることが分かり、その旨をご連絡したのだが、たいへん吃驚しておられた事を思い出す。多分このサイトがご縁だと思うが、次郎左衛門のご子孫(M・K氏)からご連絡をいただき、「屋敷図」などの貴重な資料を頂戴した。
 2006年5月下旬、「茶人・佐久間不干齋書状・細川家臣久野次郎左衛門宛元和六年」というものがYahooオークションに出品された。このことをお知らせいただいたのは、細川内膳家のご子孫(J・H氏)である。良くぞ気が付かれたものと感心したものだ。早速M・K氏にご連絡したところ、後日「落札」された旨のご報告をいただきコピーをお送りいただいた。
 その時分、佐久間氏のご子孫(M・Y氏)から、当サイト侍帳にある肥後佐久間氏についての問い合わせがあっていた。熊本の佐久間家は佐久間勝之の弟・佐久間角介正頼を祖として後細川家臣として現在に至っている。いろいろなやり取りの中での「不干齋」の書状の出現であったが、佐久間M・H氏は首を傾げられていた。「本物ではなかろう」との意であろう。久野氏の了解を得て佐久間氏にお送りすると、「正に本物です」というご連絡をいただいた。関係された皆様に早速のご連絡をしたのは当然の事だが、後日佐久間氏から数葉のコピーが送られてきた。「京都古書籍・古書画資料目録」と言うものの抜粋である。目を通して驚いてしまった。「肥後国熊本藩 久野家文書」とある。「三齋宗立書状」や歴代知行状十三通、柳雪義信筆の絵など多数に上るものだ。不思議な事があればあるものだと感じた事だった。
 さてその不干齋の書状、オークションの際の説明書には、次郎左衛門の細川家仕官に関するものとされている。又、次郎左衛門にかんする説明には、当サイトの「新・肥後細川藩侍帳」が転載使用されていることが面映い事であった。
「上下にきつく伸びた筆線にその人となりが知れるようです」と説明あるが、皆目何が書いてあるかわからない。なんとか読み下す手立てを考えなければ成らない。サイトを通じてご厚誼いただいた皆様の、ご好意の賜物であると感謝である。
 
コメント
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