細川家十代斉樹(ナリタツ)の正室は一橋家徳川治済(ハルサダ)女・紀姫、治済の子家斉は将軍家に入って十一代家斉となった。ということは、斉樹と将軍家斉は義兄弟ということになる。斉樹の父・九代斉茲は宇土支藩・細川興文(月翁)の子で、八代治年の養嗣子となって本家に入ったが、斉樹には継嗣子がなく同じく宇土細川家の細川立政の子・立之を養嗣子とした。斉護(ナリモリ)と改名しているが、斉茲・斉樹・斉護の三代が「斉」の字を使っているのは、将軍家斉に係わりがあるように思われるが、どうだろうか。斉護の正室は広島藩浅野家斉賢女で、ここにも「斉」つながりが見える。
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