津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

幽齋の京都屋敷

2009-08-05 16:00:17 | 歴史
 幽齋の京都における屋敷について、綿考輯録は次のように記している。

一、一条狠(ママ)橋之西爪(詰)四町四方
一、下京之北ハ綾小路、西ハ高倉、南ハ五条坊門、東は万里小路四町四方也
        右ハ和泉守之守護御用屋敷也
一、細川淡路守屋敷一条狠橋西爪屋敷の隣にて四町四方
        右之通代々御屋敷之由也

 この場所が一体何所なのか皆目わからないでいる。(ご存知の方、お教えください)

 永禄十一年十月十四日足利義昭は、わずか七人の御供衆をつれて六条本圀寺に入り、十五日もここで過ごしている。そして十六日には細川藤孝の屋敷に入った。その細川屋敷は「細川氏綱の屋敷跡」だとされるが、上記のことであろうか。そして十八日義昭は将軍宣下を受けるのである。

そして翌年織田信長は義昭の為に御所の建設を始める。細川屋敷の庭にあった名石「藤戸石」を綾・錦で飾り立て、三・四千人の手によりにぎやかに新御所の庭に引き入れたという。後にこの名石は聚楽第に動かされ、後又秀吉の命により醍醐寺三宝院に運ばれた。

   【藤戸石】    members.jcom.home.ne.jp/seiwaen.asano/sanpouin.htm
   【細川氏綱】   ja.wikipedia.org/wiki/細川氏綱
コメント (1)
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