細川幽齋が亡くなったとき、家臣にして歌道の弟子でもあった志水伯耆守清久入道宗可が、追悼文の冒頭につかっている。李白の【春夜宴桃李園序】からの引用である。
奉追悼
泰勝院殿前兵部和歌并序
夫天地者万物之逆旅 光陰者百代之過客と云々
抑
幽齋尊老は ・・・と続いている。
松尾芭蕉も「奥の細道」の冒頭に引用している有名な言葉だが、その刊行は元禄15年(1702)だというから、遡ること90年ほどまえ(慶長15年-1610)のこの様な文章に遭遇すると、当時の人々の教養に驚かされる。
【夫れ天地は万物は逆旅、光陰は百代の過客なり。而して浮生は夢のごとし、歓を為すこと幾何ぞ。古人燭を秉つて夜遊びせしは、良に以有るなり。況や陽春我を召くに煙景を以てし、大塊我に仮すに文章を以てするをや。桃李の芳園に会して、天倫の楽事を序す。群季の俊秀なるは、皆恵連たり。吾人の詠歌は、独康楽に慚づ。幽賞未だ已まず、高談転た清し。瓊筵を開いて以て花に坐し、羽觴を飛ばして月に酔ふ。佳作有らずんば、何ぞ雅懐を伸べん。如し詩成らずんば、罰は金谷の酒数に依らん。】
奉追悼
泰勝院殿前兵部和歌并序
夫天地者万物之逆旅 光陰者百代之過客と云々
抑
幽齋尊老は ・・・と続いている。
松尾芭蕉も「奥の細道」の冒頭に引用している有名な言葉だが、その刊行は元禄15年(1702)だというから、遡ること90年ほどまえ(慶長15年-1610)のこの様な文章に遭遇すると、当時の人々の教養に驚かされる。
【夫れ天地は万物は逆旅、光陰は百代の過客なり。而して浮生は夢のごとし、歓を為すこと幾何ぞ。古人燭を秉つて夜遊びせしは、良に以有るなり。況や陽春我を召くに煙景を以てし、大塊我に仮すに文章を以てするをや。桃李の芳園に会して、天倫の楽事を序す。群季の俊秀なるは、皆恵連たり。吾人の詠歌は、独康楽に慚づ。幽賞未だ已まず、高談転た清し。瓊筵を開いて以て花に坐し、羽觴を飛ばして月に酔ふ。佳作有らずんば、何ぞ雅懐を伸べん。如し詩成らずんば、罰は金谷の酒数に依らん。】