津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

光陰者百代之過客

2009-08-10 16:37:43 | 歴史
 細川幽齋が亡くなったとき、家臣にして歌道の弟子でもあった志水伯耆守清久入道宗可が、追悼文の冒頭につかっている。李白の【春夜宴桃李園序】からの引用である。

    奉追悼
  泰勝院殿前兵部和歌并序
  夫天地者万物之逆旅 光陰者百代之過客と云々
  抑
  幽齋尊老は
           ・・・と続いている。

 松尾芭蕉も「奥の細道」の冒頭に引用している有名な言葉だが、その刊行は元禄15年(1702)だというから、遡ること90年ほどまえ(慶長15年-1610)のこの様な文章に遭遇すると、当時の人々の教養に驚かされる。

【夫れ天地は万物は逆旅、光陰は百代の過客なり。而して浮生は夢のごとし、歓を為すこと幾何ぞ。古人燭を秉つて夜遊びせしは、良に以有るなり。況や陽春我を召くに煙景を以てし、大塊我に仮すに文章を以てするをや。桃李の芳園に会して、天倫の楽事を序す。群季の俊秀なるは、皆恵連たり。吾人の詠歌は、独康楽に慚づ。幽賞未だ已まず、高談転た清し。瓊筵を開いて以て花に坐し、羽觴を飛ばして月に酔ふ。佳作有らずんば、何ぞ雅懐を伸べん。如し詩成らずんば、罰は金谷の酒数に依らん。】
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護煕氏の花押

2009-08-10 12:40:50 | 歴史
 平成5年(1993)8月9日細川内閣が誕生した日である。
短命内閣ではあったが、その誕生は55年体制崩壊の象徴的出来事であった。永く語り継がれることであろう。天下分け目の衆議員選挙のさ中という事もあって、新聞などでも取り上げられることも無くいささか淋しい。
 
 「首相官邸」というサイトを見ると、歴代首相の花押を見ることができる。
     http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/souri/heisei.html
細川護煕氏の花押は、現在もお使いになっておられるのかどうか知る由も無いが、これは専門家の手により作成されたことが某サイトからうかがえる。どうしてこういう形ニ成ったのか良くわからないが、現代的でよいではないか。

 大臣予備軍の方々も、戦々恐々の戦いであろうが、人知れず花押を書く稽古をしている人があるのだろう。ご検討をお祈りする。
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