再来年春の九州新幹線開通に向けて、熊本駅周辺が様変わりしている。
駅の南西に広がる二本木地区は、西南の役後遊郭が作られ明治三十年までつづいた、男どもの夢の跡(?)である。ここに在った「東雲楼」は全国にその名を馳せた遊郭である。楼主中島茂七は「日本亭」という建物も建てたが、これが今日まで何とか保存されて来たがついに壊される事になった。昨年には一般市民に公開されたが、保存についてはいかんともしがたい。明治30年に二本木遊郭で最大の規模を誇った『東雲楼』の娼妓101人が、廃業届を叩きつけてのストライキとなったが、そのときの様子を謡ったのが俗謡「東雲節」である。作詞・作曲者は不明だが明治34年の作だとされる。
東雲節(ストライキ節)
なにをくよくよ 川端柳
焦がるる なんとしょ
川の流れを 見て暮らす
東雲の ストライキ
さりとはつらいね てなこと
おっしゃいましたかね
自由廃業で 廓は出たが
それから なんとしょ
行き場がないので 屑拾い
浮かれ女の ストライキ
さりとはつらいね てなこと
おっしゃいましたかね
三十三間堂 柳のお柳
焦がるる なんとしょ
可愛みどりが 綱をひく
住吉の 街道筋
よいよいよいとな てなこと
おっしゃいましたかね
二本木地区は駅前再開発地区からは取り残されているが、新幹線開通という大きな節目を迎えて、変貌を余儀なくされている。
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/bunkazai/808/bu_808_081801.htm
homepage2.nifty.com/tanosiki/v-enka-sino1.htm
駅の南西に広がる二本木地区は、西南の役後遊郭が作られ明治三十年までつづいた、男どもの夢の跡(?)である。ここに在った「東雲楼」は全国にその名を馳せた遊郭である。楼主中島茂七は「日本亭」という建物も建てたが、これが今日まで何とか保存されて来たがついに壊される事になった。昨年には一般市民に公開されたが、保存についてはいかんともしがたい。明治30年に二本木遊郭で最大の規模を誇った『東雲楼』の娼妓101人が、廃業届を叩きつけてのストライキとなったが、そのときの様子を謡ったのが俗謡「東雲節」である。作詞・作曲者は不明だが明治34年の作だとされる。
東雲節(ストライキ節)
なにをくよくよ 川端柳
焦がるる なんとしょ
川の流れを 見て暮らす
東雲の ストライキ
さりとはつらいね てなこと
おっしゃいましたかね
自由廃業で 廓は出たが
それから なんとしょ
行き場がないので 屑拾い
浮かれ女の ストライキ
さりとはつらいね てなこと
おっしゃいましたかね
三十三間堂 柳のお柳
焦がるる なんとしょ
可愛みどりが 綱をひく
住吉の 街道筋
よいよいよいとな てなこと
おっしゃいましたかね
二本木地区は駅前再開発地区からは取り残されているが、新幹線開通という大きな節目を迎えて、変貌を余儀なくされている。
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/bunkazai/808/bu_808_081801.htm
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