「むいのすけ」と読むのであろうか、時代小説の主人公かと思わせる名前である。
実はこの人、郡代などを勤めた松村英記の嫡男である。「肥後先哲偉蹟」の松村大観(英記)の項に次のように記されている。
松村英記江戸詰の節、嫡子菊壽に改名させんとて、下書を下し、名は無為助、
實名昌言、判は拜と云字なり、兎角人は無為なるがよし、無為にして人の言を
能聞べしとて、昌言と付、拜の字を判にすることは、禹拜昌言と云より出たり
(以下略)
確固たる心情が伺えて面白い。
ご子孫は佐伯にお住まいのようで、「別府大学地域連携プログラム-佐伯史談」に、松村昌勝という方の「参勤交代に於ける毛利藩と細川藩との誼(よしみ)」という論考が見受けられる。英記25歳の時参勤の御供を命ぜられ、佐賀関から御座船「波奈子丸」を先頭に、六十余隻の船団を組んで出発した。処が1隻の船が荒天のため南に五十里(200キロ)流され引返す途中で、佐伯の毛利藩にいろいろご配慮をいただいたと言うのである。英記が記した「船中日記」が翻刻されて紹介されているが、大変興味深いものである。
http://bud.beppu-u.ac.jp/xoops/modules/xoonips/detail.php?id=ss17002
英記は長く郡代職を務め、又藩校時習館の改革案などを献策している。
無為介は如何であったかまだ知り得ないでいる。