再三申し上げるように、この有吉家文書は有吉家から熊本史談会に、勉強の史料としてご提供いただいた初出の貴重な史料である。その中に藩主の居館「花畑」に関する記述が多々見受けられ、大変貴重な情報が秘められている。順次ページをめくって該当項目を明らかにし、後に詳細に調べて見たいと考えている。
【御着座之式】
■・・・一同ニ御玄関前栗石江罷出・・・
御一門、御家老衆が玄関前で藩主の御駕籠を出迎える状況であるが、ここで
は「御玄関前栗石」とあり、玄関前広場に栗石が敷き詰められていたことをう
かがわせている。
ちなみに栗石とは「栗のいが位の大きさの丸小石」(建築学辞典)であるが、
建物の基礎や石垣の裏込め石などに使われた。
■・・・中柱御間江罷出・・・一同ニ御用人江御歓謁候、尤風鳥御杉戸後ニ〆・・・
藩主を迎えた一同は中柱御間に入り、御用人に御帰国のお歓びを申し上げ
(直接でないのが面白い)退出するが、この中柱御間近くに風鳥御杉戸がある
事が判る。間取り図を眺めているがどの場所か良くわからないでいる。
■召出之節ハ・・・・、・・・・一同ニ多門より落間鷹之御間佐野之御間御入側之通り佐野
中柱御入側境杉戸より、九曜之御間御入側東之突当之御襖明キ居、右此所より歌仙
御間江一同ニ坐着、尤同御間南御襖際より西御中連子際之様ニ打廻り・・・・・
上記のことを踏まえての藩主の召し出しである。引用文はいささか長文であ
るが、御邸内の様子が窺い知れる。
花畑邸には御一門や家老衆が詰める建物(詰間)があり、渡り廊下を経て本
館に通じている。多門とは本館にある杉戸だと思われるが、どの位置なのか
判然としない。落間→鷹之御間→佐野之御間前の御入側を通ると、佐野・中
柱の御入側には二つの部屋を仕切る形で杉戸があることが判る。さらに九曜
之御間の御入側を進むと歌仙之御間に至ることになる。歌仙御間西側には
中連子窓が設けられていることが判る。
永青文庫には数葉の「御花畑館間取り図」が存在しているが、私は未見であ
り「落間」の場所を知りえないでいる。
中柱之御間とは中央に大きな柱が存在する30畳ほどの部屋であり、その隣
が九曜之御間であろう。この二部屋は続き部屋として、後には二室を中柱之
御間と表記する間取り図が見受けられる。
ちなみに「御入側」とは寝殿造りの「廂間」が、書院造りに変化したものであ
る。縁の入側(内側)という意味でこう呼ばれる。武家屋敷に於いては畳が敷
きこまれることが多く「畳敷き廊下」と解されると良いであろう。「縁座敷」とも呼
ばれ単なる通路の目的ばかりではなく、入室前の控えの場所でもあり、大勢
の集まりに於いては座着の場所となる。
■夫より御用人猶案内有之不老門杉戸外・・・(中略)
この不老門については付け書があり「鹿之口間御床之南之杉戸也」とある。
鹿之口間とは鹿之御間の入り口に当る前室(廊下)であろうと思われる。
間取り図を見ると確かに引き違いの建具がありこれが不老門であろう。
鹿之御間は後には「御座之間」などとも書き込みがなされている。
■竹之御間(御着座後初而召出之式にて解説有-後述)