福岡にお住まいのT・Y様から、過日上田休に関する情報をお寄せいただいた。福岡の古書店・葦書房で本を購入された折、半年ほど前に発行された「文献目録」も入手された。
この中に、「上田休応接咄ノ次第概略書」(明治10年6月3日)という資料が記載されていたというご連絡である。
氏のお話によると「文献目録の紹介によれば、筆者は細川侯爵家家扶監事を務めた樋口定という人物で、西南戦争時に長崎に避難していた細川護久公の明治政府に対する忠誠を示すための弁明書の下書きではないか、ということです」とある。
ちなみに値段は85,000円ということであったが、早速葦書房にTELを入れてみた。
なんとこの高価なものがすでに売れていた。お聞きもしなかったが、大学かどこかの研究用であろう。
上記概略書の一部が以下のように紹介されている。(T・Y様のメールから)
「三月五日上田休砂取ノ旧知事ノ邸江来ル、上田ハ旧知事ノ出崎ノ事迄モ承知ニテ来候ニ付私言ク旧知事ノ様子ハ戦争始ルノ日ニ報知アレトモ知セ届兼候事ヲ述ル。上田言旧知事ノ崎陽ニ滞ニテ此末如何成ル運ナラント尋候ニ付、私言出張向ノ事情難斗細川休焉モ出崎候得ハ必様子ハ不遠内報知モアラント申述、尚上田言此前上京可致事ヲ咄置候処旧知事ハ出崎モ有之上京ハ止メ川尻ハ因モ有之……」
樋口定については、川尻町史の「上田久兵衛」項に次のような記事があった。
「四月初旬川尻に於ける薩軍勢可ならざるや休其士気の沮喪せんことを慮り陽に書を其の友人樋口定に送りて曰く
最早今日に至りては事已に切迫に及びたれば惣敗軍と思ひしに豈圖らん薩兵の後軍大
凡三千人許り人吉を発し明六日八代に到着し、而して当地屯在の官軍を挟撃するの都
合により我兵も俄に色を立直し、小生抔熬豆に花愁眉を開かんとするの感あり」
「概略書」が提出された時期上田休は獄中にある。旧主に対しても何らかの調べがあったのであろう。その弁明書が上記の「上田休応接咄ノ次第概略書」だと考えられる。
何とか詳細を知る術はないかと思案している。T・Y様のご好意に感謝申し上げる。