京都大徳寺の細川家墓所・高桐院の隣に、玉林院がある。
http://www.rinnou.net/cont_03/07daitoku/img/map.pdf
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E6%9E%97%E9%99%A2
ここは豪商・鴻池家の菩提寺だそうだ。細川重賢の代、破産寸前の細川家は大奉行堀平太左衛門が、鴻池家に借金の申し入れをしているが、無碍もなく断られている。そのことが宝暦の改革の発端と考えても良いのかもしれない。
金利の安い代わりの金主を得て、改革は急速に進んでいく。鴻池の借金も、更なる申し入れを断ったことにより返されていくという、皮肉な結果となった。
こんな逸話が在る。
遊んで暮すってのは出来ることじゃーないよ。昔大阪の鴻池の若旦那が無駄づかいをたしなめられた。その時のセリフがいい。「若旦那、そんなにお金をつかつてしまうと、今に、三井や住友のように商売しなきゃならなくなるよ。 (永六輔著・明治からの伝言)
笑わせてくれる話だが、細川家も随分お手伝いをしたということになる。
この玉林院には、忠利の子にして妙解寺住職から大徳寺に入院した、不白大和尚宗玄が葬られている。いろいろ因縁めいたことではある。