昨日のブログで氏家卜全についてご紹介した。信長の長嶋城攻撃は三回に亘っているが、第一回目の攻撃は散々であった。引き上げるに当っては柴田勝家が殿を勤めていたらしいが、なぜか氏家卜全がこれに替わった。立派なお墓がたっている所で亡くなったらしいが、長嶋輪中からはいささかの距離がある。一揆軍の猛追があっての無念の死である。
私は通常の戦いでの落命かと認識していたが、引き上げに当っての殿を務めての死であることを始めて知った。勉強不足である(汗・・)
話はがらりと変わるが、しんがりに「殿」という字を充てるのは何故だろうと思っていた。本来は「殿後」「殿軍」が本当らしい。「退軍のとき、あとに踏みとどまって追撃をふせぐ軍勢」であり、「しんがりをする」などと使う。名誉なる役目ではあろうが命の保障は無い。卜全は不幸にも落命することになるが、歴史にその名を残した。享年38歳。