河内長島一篇に仰せ付けらるゝの事
六月廿三日河内長島御成敗として 信長御父子御馬を出だされ其の日津島に御陣取る 抑尾張国河内長島と申すは隠れなき節所なり 濃州より流れ出づる川余多有 岩手川・大滝川・今洲川・真木田川・市の瀬川・くんぜ川・山口川・飛騨川・木曽川・養老の滝 此の外山々の谷水の流れ 末にて落ち合ひ大河となって長島の東北、西五里・三里の内幾重ともなく引き廻し 南は海上漫々として四方の節所申すは中々愚かなり これに依って隣国の佞人凶徒など相集まり住宅し当寺を崇敬す 本願寺念仏修行の道理をば本とせず 学文無智の故栄花を誇り 朝夕乱舞に日を暮らし俗儀を構へ 数ケ所端城を拵へ国方の儀を蔑如に持扱 御法度に背き御国にて御折檻の輩をも能隠家と抱へ置き 御領知方押領致すに依って 一年信長公御舎弟・織田彦七殿河内小木江の郷に至って既に打ち越し足懸を構へ御在城のところ 先年信長公志賀御陣 浅井・朝倉と御対陣半ば御手塞ぎと見及び申し一揆蜂起せしめ既に日を逐り攻め申す 織田彦七御腹めさせ緩怠の条々勝て計ふべからず 日比御鬱憤候へども信長天下の儀仰せ付けらるに依って御手透御座なく御成敗御延引なさる 今度は諸口より取詰め急度御対治なさるべきの御存分にて 東は御嫡男織田菅九郎一江口へ御越しなり 御伴衆織田上野守、津田半左衛門、津田又十郎、津田市介、津田孫十郎、斎藤新五、簗田左衛門太郎、森勝蔵、坂井越中守、池田勝三郎、長谷川与次、山田三左衛門、梶原平次、和田新介、中島豊後守、関小十郎右衛門、佐藤六左衛門、市橋伝左衛門、塚本小大膳。西は賀鳥口、佐久間右衛門、柴田修理亮、稲葉伊予守、同右京助、蜂屋兵庫頭 松の木の渡り一揆相支へ候をどつと川を乗り渡し馬上より数多切り捨て候なり 信長公は中筋はやを口、御先陣は、木下小一郎、浅井新八、丹羽五郎左衛門、氏家左京助、伊賀伊賀守、飯沼勘平、不破河内、同彦三、丸毛兵庫、同三郎兵衛、佐々蔵介、市橋九郎左衛門、前田又左衛門、中条将監、河尻与兵衛、津田大隈守、飯尾隠岐守 一揆小木江村を相塞ぎ候を追ひ払ひ御通り候 又しのはしより一揆罷り出で相支へ候 則ち木下小一郎・浅井新八両人懸け向かはれ候 こだみ崎川口舟を引き付け一揆堤へ取り上りかゝへ候 丹羽五郎左衛門懸け向かひ追ひ崩し数多討ち捕り まへがす、ゑび江島、かろうと島、いくいら島を焼き払ふ 信長其の日は五妙に野陣を懸けさせられ 十五日に九鬼右馬允あたけ舟、滝川左近、伊藤三丞、水野監物、是れ等もあたけ舟 島田所助・林佐渡守両人も囲ひ舟を拵へ 其の外浦々の舟をよせ蟹江、あらこ、熱田、大高、木多、寺本、大野、とこなべ、野間、内海、桑名、白子、平尾、高松、阿濃津、楠、ほそくみ、国司お茶筅公、捶水、鳥屋野尾、大東、小作、田丸、坂奈井 是れ等を武者大将として召し列れ大船に取り乗りて参陣なり 諸手の勢衆船中に思ひ/\の旗じるし打ち立て/\ 綺羅星雲霞の如く四方より長島へ推し寄せ 既に諸口を取り詰め攻められ一揆廃忘致し妻子を引きつれ長島へ逃げ入る 信長御父子との妙へ打ち越され伊藤が屋敷に近陣に御陣を居えさせられ 懸けまはし御覧じ諸口の陣取り仰せ付けられ候 御敵城は しのはせ、大鳥居、屋長島、中江、長島、五ケ所へ楯籠るなり しのはせ攻めの衆 津田大隈守、津田市介、津田孫十郎、氏家左京亮、伊賀伊賀守、飯沼勘平、浅井新八、水野下野守、横井雅楽助。大鳥居攻め衆、柴田修理亮、稲葉伊予守、同彦六、蜂屋兵庫頭 今島に陣取川手は大船を推し付け攻められ候なり 推しの手として佐久間父子江州衆を相加へ 坂手の郷に陣を懸けられ候なり 長島の東推付の郷陣取りの衆 市橋九郎右衛門、不破彦三、丹羽五郎左衛門 かろうと島口攻めの衆織田上野守、林佐渡守、島田所之助 此の外尾州の舟数百艘乗り入れ海上所なし 南大島口攻めの衆御本所、神部三七、桑名衆、此の外勢州の舟大船数百艘乗り入れ、海上所なし。諸手、大鳥居、しのばせ、取り寄せ、大鉄砲を以て塀櫓打ち崩し、攻められ候のところに両城迷惑致し 御赦免の御詫言申すと雖も迚も程あるべからざるの条佞人懲らしめのため干殺になされ 年来の緩怠・狼藉、御鬱憤を散ぜらるべえきの旨にて御許容これなきところに 八月二日の夜以外の風雨に候 其の紛れに大鳥居籠城の奴原夜中にわき出で退散し候へど 男女千計り切り捨てられ候
樋口夫婦御生害の事
八月十二日しのばせ籠城の者長島本坊主にて 御忠節仕るべきの旨堅く御請け申すの間一命をたすけ長島へ追ひ入れらる さる程に木目峠に取出を拵へ樋口を入れ置かれ候ところ 如何様の含み存分に候ひしやらん取出を明け退き妻子を召し列れ候て甲賀をさしてかけ落ち候を 羽柴筑前守追手をかけ途中にて成敗候て 夫婦二人の頸長島御陣所へ持たせこされ候なり 今度長島長陣の覚悟なく取る物も取り敢へず 七月十三日に島中の男女貴賤其の数を知らず 長島又は屋長島、中江、三ケ所へ逃げ入り候 既に三ケ月相抱へ候間、過半飢死仕り候
九月廿九日御詫言申し長島明け退き候 余多の舟に取り乗り候を鉄砲を揃えうたせられ際限なく川へ切りすてられ候 其の中心ある者どもはだかになり 伐刀ばかりにて七八百ばかり切って懸かり伐ち崩し御一門を初め奉り歴々数多討死 小口へ相働き留主のこ屋/\へ乱れ入り 思ふ程支度仕り候てそれより川を越え 多芸山、北伊勢口へ、ちり/\に罷り退き、大坂へ逃げ入るなり中江城、屋長島の城、両城にあるの男女二万ばかり幾重も尺を付け取り籠り置かれ候 四方より火を付け焼きころしに仰せ付けられ 御存分に属し九月廿九日、岐阜に御帰陣なり