津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

途絶えた家康のDNA

2011-08-23 08:19:49 | 歴史

 細川家には家康の血が流れている。随分以前だがそれがいつ途絶えたかという事を尋ねられ、いろいろ調べたことがある。そして今夏同様のお尋ねをいただいた。

 最初は家康長男信康女・五徳姫(小笠原秀政室)女・千代姫が秀忠養女として細川忠利に嫁いだことに拠ってである。二度目は綱利が家康の末子・水戸徳川家祖頼房の女(長男頼重の養女)久姫を迎え入れた。
綱利自身も祖母・千代姫の血から家康のDNAを受け継ぐと共に、家康の孫女を正室として向かえたが男子が無く、細川家に於いては久姫を経ての血は受け継がれていない。男子が絶えた綱利は弟・利重の子利武を養子としたため、家康のDNAは千代姫の血をへて宗孝・重賢・治年と受け継がれた。治年に継嗣がなく宇土細川家から養子を迎え入れたため、ここでDNAは途絶えることに成る。利重の家系は(新田藩)では途絶えることなく受け継がれている。利重女・成が宇土細川家三代・有孝に嫁いだが、二人の間に子はなく宇土細川家にはDNAは受け継がれていない。ために齊茲以降の細川家には、家康のDNAは受け継がれていないことになる。
光尚代においては「徳川の爪の端」といわれた細川家であったが、綱利もまたそうありたいと願ったのであろう。久姫との間は仲むつましかったらしく、側室に子が生まれるのは久姫亡き後のことである。

     +--信康-----●
     |        ∥----千代
     |    小笠原秀政
     |
     +--秀康
     |
     | 将軍家
家康---+--秀忠--+--家光
     |      |
     |      +===千代             
     
|           ∥             ∥
     |   +----細川忠利---光尚---+--綱利======宣紀---+--宗孝
     |   |                |                 |
     |   |                |                 +--重賢---治年--×
     |   |                |      新田藩
     |   |                +--------利重--+--利昌・・・・・・・・・・・・・・→○
     |   |                            |
     |   |                            +--利武(宣紀)
     |   |                            |
     |   |                            +--成
     |   |      宇土藩                     ∥---×
     |   +--------立孝----行孝--------------------有孝
     |
     | 尾張
     +--義直
     |
     | 紀州
     +--頼宣
     |             +==
     |              |
     |      +--頼重--+--頼常
     | 水戸   |          ↓
     +--頼房--+--光圀======頼常
            |
            +-- 

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