津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

島津義久-細川幽齋-近衛信尹-黒斎玄與

2011-08-19 19:21:21 | 徒然

CiNiiに近衛信尹と黒斎玄與(阿蘇惟賢)に関する論考を見つけた。

 近衞信尹の旅 : 『三藐院記』と『信尹坊津紀行記別記』        http://ci.nii.ac.jp/els/110000466749.pdf?id=ART0000846092&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1313746904&cp=

 黒斎玄與の旅 : 『玄與日記』    
http://ci.nii.ac.jp/els/110000219211.pdf?id=ART0000600839&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1313747249&cp=

共に白井忠功氏(立正大学文学部教授)によるものである。

近衛信尹は文禄三年天皇の勅勘により、薩摩の坊津に配流となる。一方黒斎玄與(阿蘇惟賢)は阿蘇宗家と対立し天正十五年矢部(熊本県矢部町)の浜の館から逃れて島津氏を頼った。
島津氏はといえば、梅北の乱における島津氏の係りをとがめられ、細川幽齋をして当主義久の三弟・歳久の切腹が申し渡された。幽齋の努力に依り関係者の処分が滞りなく薦められ、島津家の危機も一段落する。そんな時期に坊津に近衛信尹がいたのである。信尹が京都を発するとき、細川幽齋は是を見送っている。歌道の師幽齋を向かえ島津義久は歓待するが、一方弟・歳久の死を要求する秀吉の使者でもあった。この微妙な時期この四者の間ではどのような交流があったのか、興味は尽きない。勅勘が許されて帰京する信尹に、黒斎玄與が供をする。その道中の模様を記したのが「玄與日記」である。兼見卿記などによると、帰京した信尹を幽齋は温かく迎えている。玄與もまた、薩摩依頼の久闊を叙したことであろう。四者の関係がもっと詳しくわからないだろうかと、この論考を読んでいるが・・・・

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さんまと武士道

2011-08-19 18:16:19 | 徒然

 東京の「永青文庫」は館内整備のため休館に入っている。来年1月6日までだそうだが、7日から新たな企画で又展示が始まるようだ。

 一方目黒の雅叙園では「さんまと武士道」なる展覧会が催されている。雅叙園といえばかっての細川家の屋敷跡でもある。落語の「目黒のさんま」に引っ掛けてのネーミングだろうが、なかなかさばけている。熊本からはちょっと出かけるには覚悟を要するが、東京近郊の方には「永青文庫」の休館中でもありこちらへお出かけになることをお勧めする。

          http://www.megurogajoen.co.jp/event/hosokawa/

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