津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

「生誕450年記念・上田宗箇-武将茶人の世界展」図録・・・つづき

2012-01-20 13:02:12 | 歴史

昨日のブログ上田宗箇に係る一文についてご教示いただいた東京のYT様から、再度次のようなコメントを戴いた。
わざわざ品川区の図書館に行かれて「寛政重修諸家譜」で調べて来られたとのことで、改めてご紹介するとともに御礼申し上げる。

【図録には娘の嫁ぎ先が「天野可古」としか出てません。
上田重安(宗箇)の長男が五千石の交代寄合になります。その系譜に重安娘は中根平左衛門某が妻とあります。さらに上田新兵衛可勝(よしかつ)は「実は天野半之助可古が二男、重安に養われて細川越中守が家臣となる」と…
さて なぜ天野を称したかは 可古 東照宮に勤仕し、のち同僚を討ちてしばらく信濃国浅間山にかくれその後ゆかりあるによりて「天野三郎兵衛康高」が許に寓し、其の家号をうけて天野を称し、と有ります。可古の父親はもちろん織田信照のちの名は中根新兵衛可賢です。
可古男子六人あり、長男は家を継ぎ、その余二人は分かれて浅野家に仕え、二人は同家の臣上田氏の養子となる。家祖可成は三男にして別に家を興し、男成常がとき中根に復す… と  複雑な事情が読み取れます… 通称名も混乱しております】

 

「寛政重修諸家譜」

織田信照 「某」と表記 越中守 第八巻 168P

上田氏 第四巻 137P 

中根正照 第九巻 243P 

中根氏(可成と前後) ★ 第二十巻 299P

 

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1:25 改めて新たなご示教をいただいたので追記する。

 

天野可古のことは 国立公文書館の中根氏「畧譜」の方が正論だと思われます 

「天野康景」が正しい と 

「仏高力、鬼作左、どちへんなきは天野三郎兵衛」(清長は寛大、重次は剛毅、康景は慎重) とあるようです 

面白いことに 知己の 古河歴史博物館の学芸員 永用俊彦氏が面白い文書を書いてました… 

 

http://www.city.ibaraki-koga.lg.jp/06renewal/kouhou/10_10_01/kouhou/16.pdf

 

コメント (1)
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