津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

もうひとつの明治維新―幕末史の再検討

2012-01-29 14:01:53 | 書籍・読書

 勝ち組、負け組と分けると細川藩は前者ではなかろうし、細川藩に於ける実学党、学校等を考えると、前者が勝ち者・後者が負け組ということになるのだろう。高祖父・上田久兵衛などはまさしく後者であろうし、私は判官贔屓の人間だから高杉晋作や坂本龍馬を単純に好きだという人とは対極に居る。
「もうひとつの明治維新」はそんな意味では後者に位置する人たちを語っているのだが、このような本が多くの人たちに読んでいただけることを大いに願うものである。 

もうひとつの明治維新―幕末史の再検討 (大阪経済大学日本経済史研究所研究叢書 -第16冊)
 
                                      有志舎

               http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2011072701055.html

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候由

2012-01-29 11:31:46 | 徒然

 鸚鵡籠中記で取り上げられた細川綱利に係るものは、粗方にクエッションマークがついている。柳沢吉保の三男を養子に迎える話や、藩主押し込めの話などである。これに関する事はいわゆる噂話をまとめたものであろう(すべてがそうだとは言わないが)が、一級資料とはなりえないのであろう。一級資料とは何らかの形で「裏」が取れるということであろうが、これらの話もひょっとすると本当かもしれないのであって、歴史の真実を知る上での史料の取捨選択がもつ「危険性」も一方にはあり、そのことを十分認識しておく必要がある。

 ある人物を論ずるとき、一級資料であるにもかかわらず、不利とおもわれる史料についてはまったく取り上げられることがないという事例があり、かえってその事がその人物の真実を知る上で悪く作用するのではないかと思われることがある。学者先生たちはこの史料をご存じないのか、あえてさけて通られているのか、学問とは不思議な一面も見せる。(一級資料ではないという認識もあるのかもしれない・・これが逃げ道か)

 私ごときの単なる市井の歴史好き人間は、一級だろうが二・三級だろうが「候由」の文章だろうが、新たな資料に出くわすとワクワクしてしまうのだが、やはりそのことを大いに認識して発言したり文章にしたりするべきだと思っている。
「先祖附」の研究を究極のものにしたいと思っているのだが、私は一級資料にこだわっていない。「候由」なる史料もまた史料であれば、その旨を記しながらまとめ上げようと思っている。 

 NHKの大河ドラマは、去年の「江」から今年の「清盛」にいたるまで、まったく見る気がしないで居る。ドラマとはいえいささか許容範囲をこえた歴史の捉え方に合点がいかないのである。せいぜい「候由」といった範囲の噂話の範中で収めてもらいたいものだ。

 

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