津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

一条忠香日記抄

2012-01-23 16:41:43 | 史料

 公武合体派の公家方の主要なる人物の一人として知られる一条忠香の父君は前関白准三宮忠良である。母君である細川齊茲女邰姫について、「一条忠香日記抄」は、「母従三位源富子・左少将源齊茲朝臣女」と記す。忠香・富子夫妻の娘美子は明治天皇の皇后(昭憲皇太后)である。細川家の血は皇室に入った。養女・峯姫は細川韶邦室であり、同じく養女・美賀子は徳川家喜に嫁した。また韶邦女・勇姫は越前松平藩の松平春嶽(慶永)に嫁いでおり、忠香の息・実良を含め公武合体派の人物が一条家・細川家の血によりつながったことになる。「一条忠香日記抄」はこの時期の公武合体派の活動を知る上で貴重な資料である。


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