山田康弘氏の「細川幽齋の養父について」は大方の認知をえて、その後発表される幽齋に係る論考においては避けて通れない状況になっている。
綿考輯録における編者・小野武次郎の説明はいかにも苦し紛れである。それにしても九十を過ぎた老女の記憶にたよるだけのこの論争には、山田康弘氏の御説にも確固たる証拠建てで補強が必要であろう。
東大史料編纂所の金子拓先生の御著「記録の歴史学」に、ガラシャ夫人の死に係る証言の書・霜女覚書について、「実は老女の記録というきわめて不安定な地盤の上にたっている」とされる。ガラシャ夫人が二人の御子を殺害された上で生害されたという説は、この霜なる老女の一通の文書により打ち消されてしまったといってもよかろう。最近HNぴえーるさんは、新たな資料を発見されてブログでコメントされた。
また、霜女覚書とは状況をことにする「小須賀覚書」なども存在するのだが、一部の識者がその存在を承知するのみで内容の評価については無視されているといってよい。真実はまさに闇の中である。
幽齋公の養父についての証言や、ガラシャ夫人生害に関しての霜女の証言など、金子先生のご指摘のように「一人の老女の証言」のみにより論ぜられることに歴史の危うさを感じざるを得ない。