「立政公御参勤 道中日記をたどる」付け足し
鶴崎の御舟歌に関する著「御船歌・復活に寄せて」をよんでいたら、偶然下記の歌詞を見つけた。
道中日記には見えない池田やこれに伴う西行の故事、能の熊野、又小夜の中山・三保の浦等が登場するとともに、藤原家隆の歌などが挿入されるなど博学の人物の作詞であることを伺わせる。
小夜の中山
エイ 池田の宿をわ夜はほの/\立出て
エイ 天竜川の早瀬おも 心すこくも打渡り
エイ 其のいにしゑの西行は
エイ まだこよべきと思いきや 命なりけりさよの中山中/\に
エイ 忘れて過きし都ともかくと おもひつゝも今日も又
エイ 今行(く)駒の足はやく
エイ 行(く)間もあらぬ大井川 みかた(さ)まされは藤枝の
エイヤヨ/\此 サン花と見ツゝも打過てうつの山部(辺)のうつゝにも
エイ 夢にも人にあわんなり 月も今宵は清見潟 三保の浦葉のしら波
エイ かたみに袖をしほりつゝ 末の松山かくやらん
エイ 我身たゑぬ浮島か
エイ 原より見れは富士の山 やれすその雲を引はゑて
エイ また時ならぬしら雪の つもる日数をふる程に
エイ 駿河の国を打過て
エイ 今宵は三島にやどりつゝ 音に聞ゑし箱根(山) あかり/\詠(なか)むれは
エイ ほのかにみゆる山の面影打詠(なか(め)
エイ 家隆(かりゅう)の歌はおもしろや 此ノ サン明ケば又越ゆべき山の峰なれや
エイ 空行(く)月のすゑの白雲と 詠(なが)めたまひし歌人の
エイ 心今そおもひやる 感じ給えばしのゝめの
エイ 立(ち)いて見れば箱根山 つゞら折りなる細道を たどり/\て小田原宿に
今宵はかり寐して 聞ケは御江戸はほどちかし うれし
池田の宿
遠江国の中世宿駅,近世東海道の天竜川渡船場。また松尾神社領池田荘の中心部で,荘官居住地でもあった。宿はもと川の西岸にあったが,河道の変化によって東岸に移動した。池田宿は中世を通じて紀行文や軍記物にみえるが,最も繁栄したのは平安末から鎌倉期で,平宗盛と宿長者の娘熊野(ゆや)の物語は,謡曲《熊野》で名高い。徳川家康は池田渡船場の船守に種々の特権を与えたが,近世には衰退した。現在,静岡県豊田町池田。
熊野御前と平重衡 (行興寺・池田の渡し)