津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■鶴崎御舟歌から「池田」

2015-01-14 15:42:51 | 史料

「立政公御参勤 道中日記をたどる」付け足し
鶴崎の御舟歌に関する著「御船歌・復活に寄せて」をよんでいたら、偶然下記の歌詞を見つけた。
道中日記には見えない池田やこれに伴う西行の故事、能の熊野、又小夜の中山・三保の浦等が登場するとともに、藤原家隆の歌などが挿入されるなど博学の人物の作詞であることを伺わせる。 

                         小夜の中山

エイ 池田の宿をわ夜はほの/\立出て
 エイ 天竜川の早瀬おも 心すこくも打渡り
エイ 其のいにしゑの西行は 
 エイ まだこよべきと思いきや 命なりけりさよの中山中/\に
エイ 忘れて過きし都ともかくと おもひつゝも今日も又
 エイ 今行(く)駒の足はやく
エイ 行(く)間もあらぬ大井川 みかた(さ)まされは藤枝の
 エイヤヨ/\此 サン花と見ツゝも打過てうつの山部(辺)のうつゝにも
エイ 夢にも人にあわんなり 月も今宵は清見潟 三保の浦葉のしら波
 エイ かたみに袖をしほりつゝ 末の松山かくやらん
エイ 我身たゑぬ浮島か
 エイ 原より見れは富士の山 やれすその雲を引はゑて
エイ また時ならぬしら雪の つもる日数をふる程に
 エイ 駿河の国を打過て
エイ 今宵は三島にやどりつゝ 音に聞ゑし箱根(山) あかり/\詠(なか)むれは
 エイ ほのかにみゆる山の面影打詠(なか(め)
エイ 家隆(かりゅう)の歌はおもしろや 此ノ サン明ケば又越ゆべき山の峰なれや
 エイ 空行(く)月のすゑの白雲と 詠(なが)めたまひし歌人の
エイ 心今そおもひやる 感じ給えばしのゝめの
 エイ 立(ち)いて見れば箱根山 つゞら折りなる細道を たどり/\て小田原宿に
 今宵はかり寐して 聞ケは御江戸はほどちかし うれし

 

池田の宿 
遠江国の中世宿駅,近世東海道の天竜川渡船場。また松尾神社領池田荘の中心部で,荘官居住地でもあった。宿はもと川の西岸にあったが,河道の変化によって東岸に移動した。池田宿は中世を通じて紀行文や軍記物にみえるが,最も繁栄したのは平安末から鎌倉期で,平宗盛と宿長者の娘熊野(ゆや)の物語は,謡曲《熊野》で名高い。徳川家康は池田渡船場の船守に種々の特権を与えたが,近世には衰退した。現在,静岡県豊田町池田。 

熊野御前と平重衡 (行興寺・池田の渡し)   

 

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■立政公御参勤 道中日記をたどる 18 (見附→袋井→日坂→島田→藤枝→岡部→鞠子→府中→興津)

2015-01-14 07:17:31 | 先祖附

二十九日目

     十月十三日 晴
一、御定刻御供揃ニ而見附御本陣御出立被遊候
一、袋井御小休茶代棒頭取計  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・東海道五十三次・第27宿 袋井宿
一、原川御小休茶代右同断
一、掛川御小休茶代右同断    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・東海道五十三次・第26宿 掛川宿
一、日坂宗伝寺御昼休ニ付南鐐一片被下候  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・東海道五十三次・第25宿 日坂宿
一、菊川御小休茶代棒頭取計           ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・間の宿 菊川宿
一、大井川無御滞御渡川被遊候 御代官手代川手前向ニ罷出候ニ付 拙者及挨拶候 伊奈友之助様御手代之由

                    


一、嶋田御小休茶代棒頭取計  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・東海道五十三次・第23宿 島田宿
一、三軒屋御小休茶代棒頭取計
一、瀬戸川水少も無之候也
一、藤枝御本陣江夜六ツ半時頃御着座被遊候 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・東海道五十三次・第22宿 藤枝宿
一、右本陣より御肴柿献上仕候ニ付 御肴は差返シ柿計御受ニ相成金百疋被下候
一、大井川無御滞御渡川被遊候ニ付 御家老衆拙者御前江罷出恐悦申上候 席々よりも拙者取束恐悦申上候也
一、今晩雇飛脚を以江戸表江御用状仕出申候 此節は宇土表江は御用状仕出無之候也
一、大井川御越ニ付棒頭江御酒料銀壱両被下候 御供頭江相渡候也

 

三十日目

    十月十四日 晴
一、御定刻御供揃ニ而藤枝御本陣御出立被遊候
一、岡部御小休茶代棒頭取計           ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・東海道五十三次・第21宿 岡部宿
一、宇津ノ谷御小休茶代右同断
一、丸子(鞠子)御小休茶代右同断         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・東海道五十三次・第20宿 鞠子宿
一、阿部川無御滞御渡川被遊候 御代官手代罷出ル 拙者及挨拶候
一、ミクロ御昼休亀屋五郎兵衛宅定例阿部川餅煮□等差上御次ニも右之通指出御昼休旁ニ而金百五拾疋被下候 御供頭より申出有之候ニ付右之通被下候也
一、府中宿内札ノ辻江松浦大和守様御使者罷出御会釈被遊 拙者よりも及挨拶候  ・・・・・・・・・・・・東海道五十三次・第19宿 府中宿
一、右同所御奉行牧野采女様組同心   小倉儀右衛門
                           吉田甚右衛門
   右は人馬取賄為見届罷出候由
一、小吉田御小休稲葉源左衛門宅定例すし三桶御酒等差上ニ付 銀三両被下候也
一、興津御本陣江暮六ツ前御着座被遊候     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・東海道五十三次・第17宿 興津

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