津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■立政公御参勤 道中日記をたどる 17 (白須賀→新居→浜名湖→舞阪)

2015-01-13 07:19:13 | 先祖附

                                                旧東海道地図 Googleマップ 地図をたどりながらご覧ください。

二十八日目

     十月十二日 晴
一、御定刻御供揃ニ而白須賀御本陣御出立被遊候
一、荒井(新居)疋田八郎右衛門方江朝六ツ時御着座被遊候献上物左之通 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・東海道五十三次・第31宿 新居宿
一、鰍                  疋田八郎右衛門
一、右同                 前田作右衛門
一、右同 三人催合ニ而献上仕候 前田岩吾
                       同  報蔵
                       同  直吉 
一、右は定例之献上ニ付御受ニ相成御目録左之通被下候
一、金百疋               疋田八郎右衛門
一、同弐百疋              前田作右衛門
一、南鐐一片               同  岩吾
一、銀一両                同  報蔵
一、同一両                同  直吉
一、荒井御番所江御届例之通河嶋壱左衛門御使者相勤候 惣人数弐百人余医者壱人右御人数之内仲間一人病気ニ而歩行難相成候ニ付 右御届も有之候 同勢今日中罷通り申候
  不残通仕廻迄扣居可申候共 用向受込罷在候間 主人通行相済候ハゝ 乍自由引取可申旨申達候

                      新居関所【国指定特別史跡】

                                              新居の関所

一、御召船松平伊豆守様(松平信順)より被差出候作右衛門より彼方役人江掛合申候 此方より懸合候事も無之御目録ハ例之通会所より取計候事
              (これより浜名湖を船にて舞阪へ向かう)
一、御船場江伊豆守様御役人出ル 御乗船之節拙者及挨拶候 御船江乗組之面々御近習片番御医師拙者御鑓持御草り取其外家来共乗組申候 朝六ツ半時過頃御乗船被遊四ツ頃
  舞阪
江御着船被遊候 舞阪ニ而御休無之直ニ御通行被遊候也 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・東海道五十三次・第30宿 舞阪宿   
一、篠原御小休茶代棒頭取計
一、浜松御本陣伊藤平左衛門方御昼休ニ相成候ニ付 献上物左之通 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・東海道五十三次・第29宿 浜松宿
一、鯉二ツ
一、鱠干物二ツ
一、石飯弐重
  右之通献上仕御供中江も石飯御酒等差出候ニ付目録金三百疋被下候
一、平左衛門方御昼休ニ而無之候処 白須賀御泊江罷出是非/\御休之儀相願候ニ付無余儀御昼休ニ相成候 御出立前於御座間御目見被仰付相済候 跡ニ而平左衛門願ニ付
   妻も御目見被仰付右両人共御家老御取合ニ而拙者御披露仕候

一、浜松町御先拂出ル
一、羽芝御野立
一、天龍川無御滞御渡船被遊 船場江羽倉外記様御手代出ル 拙者及挨拶候
一、池田御小休茶代棒頭取計
一、見附御本陣江夕七ツ半時頃御着座被遊候              ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・東海道五十三次・第28宿 見附宿 

 




付け足し:一行は荒井(新居)から舞阪へは浜名湖を船で横断している。その後東海道を東上して天竜川を渡ることになる。
      下の図に見る上方の街道は「姫街道」と呼ばれている。陸路をたどり天竜川に至り見附宿で東海道に合流する。
      しかしながら細川公の参勤でこの街道を通られたという記録に出会った気がしない。
      
                                                       

 

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