津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■立政公御参勤 道中日記をたどる・番外編 (伏見→髭茶屋追分→大津)

2015-01-22 14:47:42 | 歴史

 伏見入りした立政公の一行はあわただしく伏見での用をすますと旅立っている。京へは入らず京街道(東海道57次)から大津へ向かったものと思われる。
上羽氏の記録では伺えないが、伏見からいきなり草津小休とあるのは、このルートを通ったと考えるのが妥当である。
いわゆる東海道57次のルートは山科の髭茶屋追分から京都を迂回する形で伏見へ抜け、大阪へ至っている。
これには西国大名が参勤交代の際に京都に立ち寄って皇室や公家と接近することを避ける目的があったと言われている。
立政公も同様の意をもって伏見から山科(髭茶屋追分)へと向かったと考えられる。

                         
                   黄色い印が髭茶屋追分             追分の石碑には「ひたりはふしみみち」「みきハ京みち」とある

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■便利もの

2015-01-22 08:16:35 | 徒然

 「立政公御参勤 道中日記をたどる」の瀬戸内海の旅を地図にプロットしようと思い立った。
手元に嘉永六年某氏が旅した折の同様の地図(コピー)があり、これをお手本にしようと考えた。
これは某氏の道中記をもとにご子孫が手書きの地図に船旅の宿泊地を書き込まれたものである。
幸い私は瀬戸内海を挟んだ中国・四国の地図を所持しているので、これをベースにトレシングペーパーに写そうと考えた。
小さな島々が無数にある瀬戸内のどこまで写すかというのは難問である。 

ふと白地図を提供しているサイトKenMap911を思い出してこちらにアクセス、これをいろいろ眺めているうちに国土地理院のサイトにたどりついた。(いろいろお世話になっているサイトだ)
最大限にクローズアップして所定の場所をプロットし、同様の作業を繰り返す。大変簡単な作業である。これを白地図化するもよし、ワンクリックで終了する。
あとはプロットした位置を線で結べば完了なので一応ファイルに登録して続きの作業とすることにした。

今朝ほどファイルを開いてみると、画面表示がPC画面上1/3くらいしか表示されない。ムムまたPCのトラブルかと思ったらそうでもない。
どうやら私が考える作業は「申請」が必要であるらしい。申請のないものについてはこのように表示が規制されてしまうようだ。
申請と云っても申し出みたいなもののようだから、それはそれでよいのだが・・・・・・・

何度も失敗をしているうちに、小倉→下関→田浦→室津→家室→御手洗→下津井→日比→出崎→坂越→室→(大坂)安治川 の場所をあらかた覚えてしまうという余恵に預かった。

この地図があれば、いろんな道中記の船のルートをプロットできる。
国土地理院の地図ではわが散歩コースの標高差や距離などを知るのに重宝しているが、このたびもこのような使い方を覚えて有り難いことではある。
さて申請をさせていただくことにしよう。 

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