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二十五日目 四日市宿→桑名宿→(七里の渡し)→宮宿(熱田宿)
十月九日 晴
一、御定刻御供揃ニ而四日市御本陣御出立被遊候
一、富田御小休茶代棒頭取計
一、おうけ御小休茶代右同断
一、桑名丹波善九右衛門方江四ツ時過頃御着被遊候 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・東海道五十三次・第42宿 桑名宿
彼是善九右衛門御世話申上御肴ふな五ツ差上旁金弐百疋被下候 此度は御領主御代代りニ付而御世話申上候ニ付 会所より別段金百疋被下候ニ付 御肴差上申候而も別段被
下候銀は相止メ申候也
一、松平越中守(桑名藩主・松平定敬)様御船奉行 杉村仙蔵
右御本陣江被罷出此度御船江差出候役人共皆不案内者ニ御座候間心ヲ付呉候様ニとの義二而被罷出候 程能及挨拶候也
一、御船頭 種橋恵左衛門
右船頭ニ乗組宮迄罷越候ニ付 乗船之時分為知呉候様ニとの事ニ而御本陣江罷出候 善九右衛門裏手より御乗船被遊其所江右御船頭罷出居候ニ付 御はねより御披露仕御
会釈被遊候間 拙者よりも挨拶候 宮江御上筋も同断也
一、桑名御出船之節御船奉行御通筋江被罷出候時宜有之候ニ付 御供頭より扇子ヲ揚申候也
右之外ニ御船改役御船場目附人馬目附等名札指出候
(桑名宿→七里の渡し→宮宿)
現在の位置関係
天保12年に熊本藩家老松井章之(細川家家臣であると共に、徳川家からも扶持を与えられている)が参勤した記録「参府日記」みよると、
「朝六ツ半(7時)時分桑名本陣裏より乗船にて、昼九ツ半(13時)時分宮へ着船」とある。約6時間を要する船旅であったことが判る。
一、御船中汐合風も宜敷宮江七ツ時前御着船被遊直ニ御上陸ニ而宮御本陣江御着座被遊候 ・・・・・・・・・・・・東海道五十三次・第41宿 宮宿(熱田宿)
一、桑名御乗船之節士席以上蹈込ニ而御供仕御上陸之節も同断御召船江乗組御家老衆拙者御近習片番御医師御台子掛御鑓持草り取乗組候也
一、桑名本陣ニ而壱人前七拾綱ツゝニ而自分仕度仕候事
一、尾張様(徳川 斉荘)御使者 川村小三郎
右口上一通御直答被被遊候筈ニ候得共 只今御髪月代被遊候振ニ申述拙者より御相応ニ御返答申述候 御使遠方被参候ニ付 認メニ而も指出可申候得共 旅宿ニ而其儀難相
成段相断り御目録金弐百疋被下候 右御礼之御使は旅宿江拙者相勤候筈之処 本陣門前ニ而取次被申旅へ相勤候ニ及不申候段被申聞候ニ付相頼引取申候也
但此儀本陣森田八郎右衛門取計ニ而右之通相済候也