先に 益城町寸志侍 を書いた処、福原地区の安田様のご子孫からご連絡をいただいた。
地区にはその由緒を示す「先祖記念碑」が建立されているという。その碑文と読み下し文をおおくりいただいた。
その祖は大友義鑑→大友義長→大内義隆に遡る名流である。その末葉は枝を広げ十有五氏に広がったという。
後述するがその多くが寸志侍となっている。
記念碑全文と読み下し文をご紹介する。
先祖記念碑
左京大夫大内義長者大友義鑑第三子而承大宰
第(大カ)弐義隆後椎 子関西弘治二年四月七日興毛
利氏戦軍負自殺孤子四郎逃在豊後長 山内長
重石垣原之戦奮闘而傷其子三郎重直始遊肥後
其孫三郎兵衛居益城郡豊原荘慶安応承(承応カ)之間為
其荘屋子理兵衛孫伝七世襲其職為伝七有四子
各分家 四郎為山内氏祖善四郎為山内九鬼二
氏祖市三郎為安尾安田二氏祖甚三郎為宮田川
添米村吉山四氏祖四家之後今分為十有五 夫
積善之家必有慶我族以衆百年名流之 而錘下
在民間非祖宗積徳之所致者何其蕃滋能如此為
子孫有 可一日忘其遺 惜哉家乗 不可微
其詳 及不謀不 明歳月悠久或 有不知其所
由者於是乎一族相議建石録其世系之 鳴後之
為子孫者日夕思其遺慶以益興家興祖宗之霊亦
将有悲也勉 哉明治三十三年一月一五日
後一族謹識
■碑文から作成した略系図
大友義鑑---+---義鎮(宗麟)---義統 「義鎮・義統の略系図」
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| 右京大夫 太宰大弐
+---大内義長---大内義隆---関西---四郎
山内長重---三郎重直---三郎兵衛---理兵衛---伝七---+---四郎(山内家) |
+---善四郎(山内・九鬼家)
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+---三郎(安尾・安田家)
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+---甚三郎(宮田・河添・米村・吉山家)
■福原地区の「寸志侍」
・伊藤家、井芹家 ・後藤家 ・(針峯の先祖記念碑) ・山内家 ・九鬼家 ・安尾家 ・安田家 ・河添家 ・吉山家
・米村家 ・宮田家 ・守田家 ・園山家 ・福島家 ・中村家 ・宇佐川家 ・山陳の宇佐川家 ・原田家
■有禄士族基本帳には「九鬼・安尾家」を除く各家の名前が多く存在している。