津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■大友義鑑→大内義長→大内義隆の子孫

2016-01-09 09:21:22 | 歴史

 先に 益城町寸志侍 を書いた処、福原地区の安田様のご子孫からご連絡をいただいた。
地区にはその由緒を示す「先祖記念碑」が建立されているという。その碑文と読み下し文をおおくりいただいた。
その祖は大友義鑑→大友義長→大内義隆に遡る名流である。その末葉は枝を広げ十有五氏に広がったという。
後述するがその多くが寸志侍となっている。
記念碑全文と読み下し文をご紹介する。 

                         先祖記念碑
         左京大夫大内義長大友義鑑第三子而承大宰
         第(大)弐義隆後椎 子関西弘治二年四月七日興毛
         利氏戦軍負自殺孤子四郎逃在豊後長 山内長
         重石垣原之戦奮闘而傷其子三郎重直始遊肥後
         其孫三郎兵衛居益城郡豊原荘慶安応承(承応)之間為
         其荘屋子理兵衛孫伝七世襲其職為伝七有四子
         各分家 四郎為山内氏祖善四郎為山内九鬼二
         氏祖市三郎為安尾安田二氏祖甚三郎為宮田川
         添米村吉山四氏祖四家之後今分為十有五 夫
         積善之家必有慶我族以衆百年名流之 而錘下
         在民間非祖宗積徳之所致者何其蕃滋能如此為
         子孫有 可一日忘其遺 惜哉家乗  不可微
         其詳 及不謀不 明歳月悠久或 有不知其所
         由者於是乎一族相議建石録其世系之 鳴後之
         為子孫者日夕思其遺慶以益興家興祖宗之霊亦
         将有悲也勉 哉明治三十三年一月一五日
         後一族謹識 

                        

                             

■碑文から作成した略系図

   大友義鑑---+---義鎮(宗麟)---義統  「義鎮・義統の略系図
        |
        | 右京大夫    太宰大弐
        +---大内義長---大内義隆---関西---四郎

                        山内長重---三郎重直---三郎兵衛---理兵衛---伝七---+---四郎(山内家)                                                  |
                                                 +---善四郎(山内・九鬼家)
                                                 |
                                                 +---三郎(安尾・安田家)
                                                 |
                                                 +---甚三郎(宮田・河添・米村・吉山家)  

■福原地区の「寸志侍」
   ・伊藤家、井芹家 ・後藤家 ・(針峯の先祖記念碑) ・山内家 ・九鬼家 ・安尾家 ・安田家 ・河添家 ・吉山家 
   ・米村家 ・宮田家 ・守田家 
・園山家 ・福島家 ・中村家 ・宇佐川家 ・山陳の宇佐川家 ・原田家

■有禄士族基本帳には「九鬼・安尾家」を除く各家の名前が多く存在している。       

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