寛永十八年一月十八日、八代に父・三斎を見舞った忠利は宇土に至り右足にしびれを感じて、言語不明瞭となった。
もともと病弱であった忠利は、寛永十五年の天草島原の乱に出陣し陣頭で指揮をとるなどして、過労が重なっていた。
しかし年末には息・光尚に対し「我等息災十年此かた覚不申候」と体調の良さを申し送っていた矢先の事である。
ちょうど参勤の時期に当たり、忠利はなんとか出発を願っていたがこれが叶うことはなかった。
江戸の奥方や息・光尚に想いを寄せながら病と闘う姿を考えると痛々しい限りである。
改修を終え開所式が行われた「松聲閣」=文京区で |
文京区立新江戸川公園(目白台一)内にある、元熊本藩主細川家ゆかりの大正期の建物「松聲閣(しょうせいかく)」の改修が終わり十六日、開所式典が行われた。
成沢広修区長や、この建物で幼いころ暮らした細川護熙元首相らが出席。「東京の新たなパワースポットとして人気を集められればうれしい」(細川氏)などと祝った。
新江戸川公園は、江戸時代にあった細川家の下屋敷の庭園を生かした公園。一九六一年に都立公園となり七五年に区に移管された。
松聲閣は細川家の学問所で大正期の建築。区の公園となってからは区民の集会所だったが、老朽化で閉鎖され、改修工事が行われていた。
木造一部二階建て延べ床面積五百平方メートルで、総工費は三億六千七百万円。大正期の木材を活用しながら、新築部分もある。
式典には、区と文化などの分野で連携の覚書を結んでいる熊本県の蒲島郁夫知事や、熊本市の大西一史市長、新宿区の吉住健一区長も出席。
熊本の人気キャラクター「くまモン」も登場して、細川氏の筆による「松聲閣」の銘板を除幕した。
細川元首相は「この辺は武蔵野の面影が残り、庭にはオシドリやカモ、キジ、タヌキが生息していた」と思い出を交えて祝った。
成沢区長は松聲閣など公園の改修を機に、公園名を変更する方針を表明。
隣接する美術館で、細川家の名品を収蔵する「永青文庫」など、近くに集まる文化資源を生かし「松聲閣を拠点として緑と歴史を生かした街づくりを進める」とした。
東京新聞記事を全文引用
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