津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■御暇被下候面々

2017-06-04 17:45:19 | 熊本地震

 正徳四年五月廿ニ日の事だそうだが、この重大事について熊本藩年表稿には記載されていない。
以前から随分気になっていたのだが、今日図書館に出かけた際「盤桓随筆・十」から該当項を発見した。
千石取三人を含め高名なる人たちがなぜまとめて「御暇」となったのか、この項でも定かではない。
真実に迫るには中々難儀である。

    千石  竹内吉兵衛    千石  田邊平助
    三百石 西沢文右衛門   三百石 臼杵杢之助
    千石  国友源兒右衛門  百石  藤掛梶右衛門
    三百石 芦田友之允    八百五十石 竹内七郎右衛門
    弐百石 江村左七郎    百六拾石余 脇坂伊左衛門

    右者正徳四年五月廿ニ日御暇右之内西沢文右衛門伜
    西沢文太郎儀ニ享保三年二月七日五人扶持被為
    拝領竹内七郎右衛門跡ハ右同日三人扶持被為脇
    坂伊左衛門嫡子脇坂関右衛門儀者享保十年四月十一日
    高瀬三蔵物書被召出候也
      本行之通大勢一同之御暇如何之訳ニ而候哉永央安田市助ニ  
      咄之席ニ聞合申候処名前相分申候ハヽ書付見せ候様被申
      候付■候処付紙ニて被申越■左之通
      此面々御奉行所御暇帳に記有之候
      思召ニ不為叶なとし有之候ヘハ事柄被分兼申候
      西沢跡者御切米取之家来有之代々相續ニ而正月十一日
      御鏡餅頂戴仕候
          書き込み中
      

コメント
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