熊本藩年表稿、安永6年6月18日の項に「竜口邸にて尚歯会を催され、七十才以上の御知音老人を招き、又出入の者、家中の男女七十才以上の者に料理等下さる」とある。
宇野東風著「細川霊感公」に「養老」という項を立てて次のように記されている。
齢は爵徳のニと共に、天下の達尊也、故に古来聖王賢主、皆老を養ひ給ふ、
公亦特に耆老を憫み給ひ、町方在方の別なく、奉行所に命じて調書を進達
せしめ、士農工商の別なく、年歯九十に達するものには、其の品位に従ひ、
士分以上には目録を添へ、農工商には、金子に酒を添へて賜へり、然して
此の恩典は、初めは年の六月に下賜せられけれども、六月まで半年を経過
せむには、或は老木の風を待たぬ例もあれば、其の恩典に漏るヽものあり
なむとて、遂に改めて正月十一日に下賜せらるることヽなれり、其の他鰥
寡孤獨の救恤を怠らせ給うことなく、領内無告の民なかりき、
(尚歯会については)
嘗て江戸にて尚歯会を催し、七十歳以上の人々を招きて、終日饗宴ありて
大いに歓楽を盡さしめ、壽字を蒔繪したる杯一個宛、萬歳杯と稱して、引
出物にせられ、且つ賤者には金子を與へ、當日往復の輿料をも添え給へり、
又女は同日小君の許に召して、同じく饗宴を賜へりとぞ、
この尚歯会は御客、筑前・有馬備後守共八人、家臣・成瀬尉内共九人、町人・寺町百庵共五人、雑人・七人、女十九人とある。