津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■65年目

2017-06-26 20:18:44 | 熊本
 
■試練

 今日は昭和28年に大水害に見舞われた日である。今年も大変な大雨に見舞われたが、昭和28年は雨が長期に及び累計雨量は比べ物にならないほどであった。あの水害で命を拾い、今度の地震でま......
 

 「昭和28年西日本水害」と正式に呼ぶ65年前の大水害は、熊本では6:26水害と呼んでいる。
今年は梅雨の合間の曇り模様であったが、毎年この時期が近くなると本当に気持ちが滅入って来る。
多くの同窓が亡くなった。上の記事は昨年のものだが、毎年変わらぬ思いである。ただただご冥福を祈るばかりである。

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■鎌田軍兵衛殿

2017-06-26 06:20:09 | 人物

                                        上質厚紙・指物附、天明6年10月福田軍0045.4cmx31.2cm

 鎌田軍兵衛は「鎌田泰家」の5代目で御鉄炮廿挺頭(千石)である。
先祖は團平八郎、美濃国岩村城主(肥後先哲遺蹟では大垣城主としているが?)で織田信長に仕え明智光秀謀反の折に御供にて討死した。嫡子・市兵衛は福島正則に仕え番頭、市兵衛嫡子・五右衛門は福島正則落去に際し浪人、初代源大夫は五右衛門の三人兄弟の次男である。兄弟三人が豊前で忠利公に召出された。(300石)
初代源大夫については面白い逸話がある。
       忠利君御代、御庭に蘭植させ被成御好被成候て、蘭のこやしにハ月代の毛を蘭の根に置たるか吉と御聞被成、
       御側ニ被居ける衆中へ右之御物語被成、銘々月代剃候ハ其毛を集置候へとそ被仰付ける、何も奉畏けるに、其
       中に鎌田何某とかや申ける御児小姓十三歳成けるか、申上けるハ、私儀ハ御断申上候、何そや士の頭毛をこや
       しに仕候儀ハ何様ニ御座候ても成申間敷とそ申上る、忠利君被聞召、成程其方云分尤也、予あやまりたりと被仰
       けるとそ、此御児小姓成長之後鎌田源大夫と申ける由    綿考輯録巻五十三(忠利公・下p438)

さて指物にある家紋は「釘抜に梃子」、「三幅のふきん」に染められているが「ふきん」とは「布でつくった巾」と解すべきだろう。

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