ここ数日仁科邦男著「犬たちの明治維新・ポチの誕生」を読んでいる。
O家の膨大な古文書解読も一段落して、ちょっと軽いものをと思って楽しんでいる。
小さいころ祖母につれられて某家を訪ねた際、そこにやけに吠える子犬がいた。今思うと「狆」ではないかと思うが記憶が定かではない。
そして帰り道で祖母が「あれはカメだよ」という。「カメじゃないよ、犬だよ」というと、「洋ものの犬はカメという」という。
へ~と納得して60数年、この本を読んで謎が解けた。祖母の話は嘘ではなかった。
外国人が犬を連れて入国し巷に犬人口が急激に増えたらしい。万延元年の「武州横浜名所図」には辮髪の人の横に犬が描かれていて、「外国戌名ヲ加め」と書き込んでいる。
そして「カメ」の語源を外人さんの「おいで/\=COME IN」からきていると説明している。カムインが日本人には「カメ」と聞こえたというわけである。このカメは日清戦争が始まるころまで「犬」にルビされたという。祖母の生きた時代のことであり間違いではなかった。
また「ポチ」の語源やら、西郷隆盛の犬の事やら、「狆」はなぜ「ちん」と読むか等大いに「萌える」著であった。
そんなことを楽しみながら読んだことであったが、その後熊本藩町政史料(三)を眺めていたら、文政12年6月朔日の事として次のような記事があった。いささか趣は違うが、偶然発見した「犬」に関するものでありご紹介しておこう。
御家中飼犬を間ニハ町家に預候者有之、夫よりして内輪種々申分も差起候哉ニ相聞候、
程ニ寄其分ニ難被閣筋も成行候てハ難相濟事ニ付、以来町家に御家中飼犬を預申間敷
候、たとひ無余儀訳を以預方談有之候とも堅相断候様、此段町中一統可及達旨ニ付小
前々々ニ至迄不洩様夫々申聞置候様可有通達候、以上
六月朔日 町方根取中
市原永一郎殿