九五八
百三十
一諸御郡御百姓共え御達筋之儀、此以後は御慈悲之上何卒
御新法之儀、暫ク被仰付不被下候様有御座度奉存候
九五九
百三十一
一大小豆青葉御改之事
此儀、近年御引合被仰付候、畑畝少キ村々ハさして手
入も無之候得共、畑勝之村々幷山在打散候所々は、下
しらへ隙取、帳面も上・地御内檢衆え二冊調出、殊之
外手入多御座候、其上御役人衆往来人馬仕夫等之費、
且又引合之節は取紛下方閙敷隙を費候儀迷惑仕候間、 閙=さわがしい
被為叶御儀ニ御座候は、御止方ニ被仰付被下候様有御
座度奉存候
但、引合被為差止候儀御座候ハヽ、御内檢衆へ小前
帳一冊、上見衆へは一紙帳迄取被申候様、被仰付被
下度奉存候
[上ノ付札]「是より奥之稜々御免方一件、追々御仕法相立居
候事」
九六〇
百三十二
一荒地御改小前帳之事
此儀、前々は上地御内檢衆へ別々ニ壹冊宛取被來候得
共、近年は地御内檢衆迄ニ調出申候所も御座候、已來
は一統地御内檢衆迄ニ調出申候様、被仰付被下度奉存
候
但、荒地御改之儀、不時荒は格別、古荒之儀は三年
廻程ニ改方被仰付、古荒之内年季受相願申分は、荒
地御見分之節御極方被仰付被下度奉存候、左候ハヽ
却て起畝之手立相成可申と奉存候
[上ノ付札]「此儀、去巳ノ夏より御仕法被改、五ヶ年廻ニ相
改候事」
九六一
百三十三
一諸御郡早田徳掛之事
此儀、格別不毛上之年柄は、土反ニ喰合又ハ土反より
下候儀も御座候、作毛大概ニ出来仕候年柄は、土反ニ
應上り方ニお徳掛被仰付候間、土反ニ七八割程上りニ
も有之、作徳共ニ取揚候ても御年貢及不足候様成儀も
御座候、前年之作並同前ニ御座候ても、去ニ少々宛は
上り方ニ相成不申候ては難成と、被申聞候御内檢衆も
有之、土反より餘計ニ上り候之村々ハ、御百姓共御受
及難澁、段々断申出候ニ付、私共より御内檢衆え断申
達、少々宛了簡も付申儀ニ御座候、早田畝之儀は纔之
畝數ニ付、上り方ニ相成候ても、一旦了簡付申候得は
御受相濟申候、右早田上り方ニ御徳掛被相極候儀は、
御内檢衆御免方之秘事ニても可有御御座(アマ)と奉存候、其
所之儀は私共不奉存候得共、右之通之御徳懸ニて迷惑
仕候ニ付、早田餘計ニ作り不申候ても可有御座と奉存
候、前廉大豆御徳懸強御座候ニ付、餘計作り不申候所、
近年土反懸ニ被仰付候ニ付御百姓共難有奉存候、相應
/\ニ作り申候、右早田之儀も、豊作たり共土反餘計
上り不申様ニ被仰付、不作候ハヽ、年柄は毛上相應之
御徳懸被仰付被下候ハヽ、早田之相應/\之地味ニは、
餘計ニ作り申ニて可有御座哉と奉存候、左候へは御年
貢も早ク相納、跡作も早ク仕付、御百姓勝手ニ相成申
儀ニ御座候間、被為叶御儀ニ御座候ハヽ、右之通被仰
付被下候様有御座度奉存候
九六二
百三十四
一大唐御徳懸之事
但、右同断
九六三
百三十五
一田方御徳懸之節、御例之事
此儀、先年御法を被為改被下、難有御儀奉存候、然處
ニ、御内檢衆より少ニても見落之坪撰被申かの様ニ相
見、其坪ニて御例被相極、生籾を計立被相渡、旱減等
之差引も無御座、理費ニては御座候得共、籾ニより候
ては米之合摺少ク、上納之節ニ至及不足、殊之外籾塘
之内實入之多少相知可申事ニては無御座候得共、萬端
仕法辛キ様相見、下方怨苦ニ奉存候間、乍恐御憐憫之
筋を以、苛察之儀無御座様ニ被仰付置被下候様、潜ニ
奉願候