日帳(寛永六年十二月)七日~九日
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| (ママ)
| 七日
| (松井興長)
豊後横目ノ手形ヲ |一、豊後御横目衆御手形、御年寄衆 殿様御迎弐門司へ御越候に付而、我等共預置申候を、今日式ア少
松井興長へ返ス | 輔殿御奉行所へ御出候間、相渡申候事、
餌犬ヲ取逃ス |一、殿様、御舟にて御鷹餌きれ申候由候付、餌犬弐疋御小早にて差上申候処、今日罷戻候、壱疋ハ
| にかし
| 無効島にてとりにかし、今壱疋迄つれ戻申候、河井権丞ニ相渡候へと申付候事、犬はつし申御小人
| 〃〃〃
| ハ少九郎也、
忠利放鷹 |一、今日御鷹野に被成 御出候事、
供舟帰着ス |一、御供舟とも、今日参着申候事、
乗馬下着ス |一、御馬とも、今日下着申候事、
| (ママ)
|一、御鷹のあしかわ、
忠利続重政等ヲ吊 |一、式ア殿被仰渡候ハ、続亀介・曽根安左衛門尉病死仕由、立 御耳申候、不便成儀と御意被成、御
問セシム | 使者なと被遣由、被仰せ候事、
| 式ア殿
豊後横目へ音信物 |一、豊後御横目衆へ之御音信物幷御使者之儀、被得 御諚由〇被仰候事、
|一、加藤甚兵衛むすこ壱六ニ罷成候、名ハ乙と申候由、金子喜左衛門尉被申候事、
豊後横目交替ニツ |一、豊後横目衆御替時分ニ御座候ニ付、御暇乞之御使者ニ、歩之御小性大石権丞被遣候也、様子は
キ暇乞之使者 | 式ア少輔殿被仰渡候事、
| (ママ)
| 八日
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忠利放鷹 |一、御鷹野へ被成 御座候事、
忠利船中拾集ノ庭 |一、御小早の御船頭田中作兵衛、御船中にて御ひろわせ被成石弐拾壱、御路地の善吉・久次郎に渡申
石ヲ路地ノ者へ渡 | 候事
サシム |
| 為御音信扇子・
石清水八幡宮鞍馬 |一、八幡御札〇鞍馬御札・御扇子、田中猪兵衛下之時、寺嶋主水言伝候而被差下候を、林隠岐に相
山祈祷札扇子ヲ天 | 渡候也、
守へ納ム
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| (ママ)
| 九日
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忠利鷹野ノ帰途松 |一、御鷹野ニ被成御座、御帰之刻、直ニ式ア少輔殿へ御申ニ被成御座候事、
井興長邸ニ臨ム |
| (友好)
不破忠左衛門御用 |一、不破忠左衛門御用之儀候間、松井う右衛門尉方まて、早々被参候へ之由申遣候、使亀介与吉村左
召 | 次右衛門尉也、
| ( 温 州 橘 )
温州橘ノ見本ヲ示 |一、うじゆきつ御郡中へ壱つ宛被成御出、御郡奉行中手本ニ見申候而、可相尋之由にて、壱籠おくゟ
シ郡中ニ求ム | 出申候、入札ニ四十四と候へとも四拾三御座候、内拾壱取候而残三十二、前のことく鬚籠ニ入、
| 其通隠岐へ申理也、
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薩摩へ飛脚 |一、芦田與兵衛与吉川源兵衛
| 両人さつまへ明日被遣、
|一、続亀介与安東市右衛門
島津家ヘノ書状覚 |一、明日薩摩へ被遣 御書覚
| (嶋津家久)
| 一、さつま殿へ壱通、
| (忠続)
| 一、喜入摂津守殿へ壱通、
| (久元)
| 一、嶋津下野殿へ壱通、
| 右之分、御飛脚吉川源兵衛・安藤市右衛門尉ニ、才兵衛渡被申候事、
| (マ マ)
冨田左門召放サル |一、富田左門ハ七月十八日ニ江戸ニ而、御暇被遣候、知行当物成は被遣候旨、 隠岐被申
当物成ハ遣 | 聞候也、