日帳(寛永七年一月)朔日~四日
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| 朔日 奥村少兵衛
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| (浅山)(田中氏次)
惣奉行年賀ノ定 |一、修理・兵庫ニハ太刀・折紙にて御礼可申上旨、被 仰付候事、
切米取ハ与毎ニ熨 |一、御切米取ノ分ハ、与切ニ御次ニ而に一所ニ被成御揃、のしを被下候、左候て、一人宛 御前へ罷
斗頂戴独礼 | 出候へと、被 仰出候事、
忠利溜池二放鷹ス |一、ため池へ御鷹野二被成御座候也、
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| 二日 安東九兵衛
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中津ヨリ年賀ノ衆 |一、中津ゟ年頭之御礼ニ被参候衆、
細川立孝使者 | 是は立允様ゟノ御使者 (昭光)
| 乃美主水・長岡河内・槙嶋云庵・魚住伝左衛門・佐藤伝兵衛・吉住半四郎・福知平右衛門・魚
| (村上景則)
| 住孫作・香山角兵衛・金守権平・石田作右衛門・山本宗賀、
| 右之衆御礼ニ被参、則今晩御礼相済候也、
謡初 |一、今晩御謡初有之事、
忠利溜池ニ放鷹ス |一、ため池へ御鷹野ニ被成御座候也、
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| 三日 加来二郎兵衛
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船頭惣奉行網猟ノ |一、白井兵介・鏡善右衛門尉ゟ、被 仰付小鴨弐つ、あミにて打申由にて、被差上候事、
| (松井興長)
豊後横目ヘノ馬代 |一、豊後御横目御両人へ為馬代、大判弐枚、式ア殿ゟ使として、真下七兵衛被持出候、うけ取置申候、
松井興長ヨリ出ル | 御使者谷忠兵衛ニ可相渡由也、
おびらめノ見本 |一、浦上瀬兵衛所ゟおびらめと申もの出し被申候、是を本ニして見せ、於有之ハ上ヶさせ可申由候、
| 則百留忠左衛門ニ申渡候事、
|一、中川佐左衛門・左内
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| (泰里) (河成)
土御門泰里ト竹田 |一、左内借銀之儀ニ付而、土御門殿と出入之状、加々山主馬持参被申候を、京ノ段ニ入置候也、
左内借銀ノ出入 | 忠興末妹が土御門久侑簾中・泰里とあるのは息泰重ヵ?
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谷忠兵衛豊後横目 |一、谷忠兵衛、豊後御横目衆へ之御使者ニ明日被遣候、御一人ニ御小袖三つ宛、箱ニ入、御馬代ニ金
へ年賀之使者タリ | (大脱)
祝儀ノ進物 | 一枚宛、則、判弐枚・御太刀折帋、忠兵衛ニ渡申候事、
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| 四日 奥村少兵衛
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忠利溜池ニ放鷹 |一、今朝も、未明よりため池ニ、御鷹野ニ成被 御座候事、
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客人屋ノ茶ノ補充 |一、住江甚兵衛方ゟ被申越候は、御客人屋之御茶、此中請取申候ハミ」なニなり申候、今日中中村少兵衛
| 下関ゟ被参候間、御茶うけ取可申由、被申聞ニ付而、相渡申候事、
| 正月廿九日ニ、重田大坂衆ノ請取切手を取下、加藤・金子ニ渡申候也、就夫、判形けし也、 (黒印、抹消)
|一、加藤・金子ゟ、銀一包、京衆へ持上候を、寺嶋主水ニ可相渡由にて、うけ取申候、重田吉左衛門〇
中津ヨリ年賀ノ衆 |一、中津ゟ、年頭の御礼ニ被参御侍衆、
| (友信)
| 一色木工・佐方與左衛門・熊谷権太夫・長屋安左衛門・毛利又兵衛・坂崎加兵衛・猿木勘左衛門
| ・樹下右衛門・舟長舟四郎五郎・村上善九郎・加藤金左衛門・朽木弥七郎・川口平四郎・鳥井太
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| 兵衛・荒木長助・糸川長右衛門・庄林十兵衛・丸尾與三左衛門・岡田粘右衛門・白樫孫兵衛、
| 右之衆、今晩御礼相済也、
年賀欠礼ニツキ鳥 |一、井門少次郎・宮本次郎太夫ハ眼気相煩申由にて、使者にて、鳥目次郎太夫三十疋、少二郎ハ弐拾
目ヲ上グ | 疋被上候也、
| (元高)
奉行繁忙点が欠礼 |一、蒲田賢斎・志水二兵衛は、御用多候とて、使者にて、鳥目三十疋被差上候也、
ニツキ鳥目ヲ上グ |
財津惣兵衛父療養 |一、財津惣兵衛被申候は、親惣左衛門煩申ニ付、御暇を申候而、惣左衛門居申所へ参候而、養生仕せ
ノタメ賜暇願 | (郷)
| 度候、若養生在合ニ而難成候ハヽ、此方へよひ、養生可仕由、被申候間、式ア殿へ、其段談合被
| 仕候ヘ之由申候処、惣兵衛式ア少殿へ被申候ヘハ、早々被参候へ之由、被仰候由被申候、早々被
| 三候へ之由、申渡候也、