日帳(寛永七年一月)八日~十一日
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| 八日 安東九兵衛
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出家ノ年賀 |一、今日、出家衆御礼在之事、
忠興放鷹 |一、御鷹野ニ被成御座候事、 (横田権佐ヵ)
四十二丁立ノ船ノ |一、水橋五郎助舟四十弐丁立の日覆・今度出来の六端帆の日おゝいの御奉行■■■■湯浅角兵衛与林
日覆 新造ノ六 | (角之丞ヵ)
端帆ノ日覆ノ作製 | 田喜左衛門・不破与吉川十兵衛也、
本阿弥光益書状 |一、本阿弥公益ゟ飛脚にて文箱参候を、南川治部を以、上ル也、
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| 九日 加来二郎兵衛
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舟梶用ノ鯨鬚二十 |一、御舟ノ梶ニ成候くじらのひげ廿六本之由にて、弐包ニして、吉田縫殿ゟ被持せ上候事、
六本 |
| (氏銕) 本多甲斐守様ゟ御文箱一つ、
戸田氏銕本多政朝 |一、御船頭熊平介、大坂ゟ罷下候ニ、戸田左門様ゟ 殿様へ被進之候御文箱壱つ〇志水伯耆所へ被成
書状来ル | (元五)
忠利志水元五邸ニ | (出ヵ) (異筆)(茣蓙包)
アリ | 御■座候間、奥村少兵衛ニ持せ、上ヶ申候事、「但、こざつゝミノ手桶壱つ参候也」
|一、式ア少輔殿へ、寺嶋主水ゟ遣被申状壱包、是茂同前ニ少兵衛ニ持せ遣、伯耆殿にて、式ア殿へ相
| 渡申候也、
志水元五加増千石 |一、志水伯耆守ニ御加増、千石被遣候事、
鉄炮足軽獺ヲ上グ |一、修理召抱候御鉄炮衆大村五郎左衛門尉、田川ニ而、獺壱つ取申由ニ而、差上申候、
| 続亀介与前川茂次右衛門
驢馬買入ニ肥前へ |一、ろ馬かいニ、肥前へ被遣御鉄炮衆友田二郎兵衛与梶原喜左衛門・御中間壱人被遣候、御中間ハか
仲間ヲ遣ス | 〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
鉄炮足軽ハ横目 | 本
仮切手ニテ銀ヲ請 | い手、御鉄炮衆ハよこめニ遣候、かり切手にて御銀請取参、罷帰次第切手調候へと申渡候事、
取ル |
| (政長)
中村政長ニ被物 |一、中村少兵衛ニ、御小袖五つ被遣、今日下関へ被成御戻候事、
唐人少峯ニ給与 |一、少峯ニ、銀子十枚・御小袖壱つ被遣候也、
|一、中村少兵衛、下関へ被罷帰ニ付、案内者として、歩之御小性黒木三太夫・森左平次被参候処、今
| 晩ハ日和悪敷ニ付而、関へ被渡候事成不申候由、船頭とも申候、就夫、内裏庄や所ニ逗留仕候
| 由、被申候事、
| (与ヵ)
忠利折節獺皮ヲ頭 |一、修理■抱大村五郎左衛門、獺壱つ上ヶ申候処ニ、能上ヶ申候由申渡、ほめ候て可遣候、折節御ほ
巾ノ裏ニ求ムル所 | しく被 思召候処ニ、被成御満足候、御頭巾ノうらニ可被成候間、早々皮をはかせ可申旨、 御
満足ス | 意候事、
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| 十日 奥村少兵衛
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忠利終日放鷹 |一、今日ハ終日、御鷹野被成候事、
少峯長崎へ帰ル |一、少峯事、長崎罷帰候事、
江戸邸門番交替帰 |一、黒瀬善右衛門・二瀬助右衛門・加藤作左衛門・深水惣右衛門、此四人ハ江戸ゟ、御門番にて罷
国ス | 下候也、内右、介右衛門ハくじ取にて、口ノ御納戸之御番ニ申付候也、
本阿弥光益飛脚ニ |一、本阿弥光益ゟ之飛脚ニ、京銭弐貫文被遣候也、
京銭ヲ給ス |
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| 十一日 安東九兵衛
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忠利放鷹 |一、今日、御鷹野に被成御座候也、
使者谷忠兵衛豊後 |一、谷忠兵衛、豊後御横目衆へ御使者に被遣、今日被罷帰候、御横目衆ゟ、御小袖弐つ宛四つ拝領仕
横目ヨリ厚遇サル | 由被申候、左候而、御振舞被下候由、被申候事、
| (幸長)
京菊屋宗有ヨリノ |一、京都菊屋宗有手前ゟ、御借銀ノ儀に付而、野田小左衛門尉へ差越申状、小左衛門ニ相渡候事、
借銀二ツキ書状 |
| (種次) (筑後山門郡) (田川郡)(同郡)
立花種次通過にツ |一、立花主膳様、内裏ゟ柳川へ被成御通ニ付而、猪膝か香春可為御泊候条、御振舞可申付由ニ而、志
キ饗応 | (元明)
| 賀左門只今被遣候、則住江甚兵衛ニ申付、御振舞道具次夫ニ而持せ遣候事、
鷹野用ノ馬ヲ細工 |一、御鷹野ニ御持ニ被成候馬壱疋作せ可申旨、御鷹師上田太郎兵衛を以、被仰出候、則御細工早田才
師ニ造ラシム | 助ニ申付候而、作せ申候也、
| (嘉)
立花種次饗応ニ料 |一、立花主膳様御通り被成候、香春まて御振舞被成候ニ付、御料理人吉田加右衛門・大野孫市、両人
理人 | 差遣候也、
|一、立花主膳殿香春にて被成御振舞ニ付、志賀左門被参候ニ、歩之御小性森左平次を相添候而遣候
| 事、
中津ノ出家等年賀 |一、年頭之御礼ニ、中津之出家衆被参候、今日御礼被成御請候也、
ニ来ル |
山内勘助初見 |一、山内勘兵衛孫勘助、只今御礼申させ候由にて、三太夫同心にて被参候事、