79歳の誕生日を迎えた。特別な感慨はないが、記憶力が鈍ったことと、体力が落ちたことは大いに実感している。
先の史談会で会友と雑談「散歩」の話になり、「体力が落ちてもやめてしまうとガックリきますよ」と言われて、心中を読まれたような気がした。
止めるつもりはないが、間引き運転になりつつあるから、大いに気を付けなければならない。
79年前の東京は随分寒かったと母から聞いたことだが、今日は10度程だが風もなく太陽が降り注いでまさに散歩日和である。
母を超えるにはまだまだ長生きしなければならないし、早死にしたおやじの分を取り戻さなければならない。
散歩の途中に目を移した水無川には水が溜まっている。夜中にでも雨が降ったのだろうか、鴨が数羽餌をついばんでいるのが見えた。
ご厚誼をいただいているS様から、10年ほど前にブログで上げた「細川家譜」についての出典のお尋ねが有った。
いろいろ考えたが思い出せない。引用するさいには「出典」を明記するのは当たり前のことだが、これを怠っていた。
カナ文字交じりでタイピングに大いに難儀したことだけが蘇ってくる。
多分図書館から借りて来たものだとは思うが、思い出せないし、図書館の蔵書リストからも見いだせない。
問い合わせなり、出向くなりしようと考えたが今日は休館日、何とも間が悪いがその旨ご返事し猶予をお願いした。
79歳の脳みそは、毎日音を立てて脳の海馬が壊れている。上の事は、どれだけ頭を振り回してみても、ひょいとは思い出せそうにない。
(上の駄句は数年前の秋の句だが、海馬の崩壊は今に始まったことではない。)
母を超えたいなどとぬかしているが、その時には老耄が極まっているかもしれないナと考えると・・・恐怖である。
水無川の溜水に遊ぶ鴨たちの屈託なさ気な姿を見ていると、広い江津湖当りが餌も豊富でよかろうにとも思うが、これも又良しで羨ましくも思える。