津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■楽しい読み下しの作業~~

2021-01-29 20:23:29 | 徒然

 侍帳改訂の為ではありませんが、某家の史料を読んでいます。これが面白くて仕方が有りません。
文中に「異風」という文字が出てきますが、まさに「異風者」で、肥後もっこすの創始者かとさえ思ってしまいます。
ご大身のお宅とは言え、このような資料が出てくると、もう楽しくて仕方が有りません。
少々読み下しにてこずっていますが、これはそう多くの人が読んだとは思われず、その内にはご紹介しようと思いますが、
新年度の史談会が発行する会報のネタにしようかとも思っています。
これだから古文書はやめられません。
図書館にまた面白そうな史料をさがしに行きたいと思いますね~~。
今日も就寝時間が遅くなりそうです・・・

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■細川小倉藩(473)寛永七年・日帳(一月廿七日~廿九日)

2021-01-29 06:52:18 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永七年一月)廿七日~廿九日

         |                        
         |    廿七日  加来二郎兵衛
         |
財津惣左衛門診療 |一、財津惣左衛門煩ニ付、明官被遣候、次夫ニ而遣、往来共ニ、泊ニ而ハ賄可被申付由、御郡奉行衆
ノ明寰ニ次夫賄ヲ |  中へ書状遣候也、
付ク       |
田川郡狩場へ鉄炮 |一、田川郡御狩場へ御鉄炮五十丁ニ小頭五人付遣候、此段坂清左へ書状遣候也、
足軽五十丁小頭五 |
人ヲ遣ス     |

         |                        
         |    廿八日  奥村少兵衛
         |
         | (長門厚狭郡カ)
舟木町ノ宿主生鶴 |一、舟木之町 殿様御宿主孫右衛門と申もの、為御見廻罷下候、進物ニ生靏壱つ持参仕由、吉田縫殿
持参見舞ニ来ル  |                (米田是季)
         |  登城ニ而被申候、此方ゟ申候ハ、監物殿ニ被得御意候ヘハ、先靏をうけ取、似惣ニ何にても遣、
         |  可戻と被仰候ハヽ其分、左様無之候ハヽ、ともかくも御さしつ次第可仕旨、奉行共も申候通、可
         |  被申候由申候事

         |                        
         |    廿九日  加来二郎兵衛
         |                             由、
鹿狩ノ獲物八十七 |一、昨日、田川長五林ノ御鹿狩被成候処ニ、鹿数八十七被成御取式ア殿ゟ被仰下候事、
         |  (親盛)
松野親盛腫物ニヨ |一、松野半斎ゟ使者ニ而被仰聞候ハ、今日御城御番にて御座候へ共、腫気物然々無御座候ニ付、登城
         |                                〃
リ欠勤届     |  不仕申候、得其意申候由、御返事申候事、
         |                (室、播磨揖西郡)   (本多政朝)
本多政朝ヨリ半弓 |一、御船頭中村二郎右衛門罷下候、むろへより申候ヘハ、本田甲斐守様ゟ、半弓壱丁・御文箱壱つ参
文箱到来     |  候也、
         |  (蜂須賀家政)                                 (河政)
蜂須賀家政ヨリ樽 |一、蓬庵様ゟ、御樽二・靏壱つ被進之候を、右二郎右衛門積下候、加々山主馬被乗阿波へ被乗上舟也、
鶴到来      |                                   〃〃
舟木宿主ノ進上物 |一、舟木之御宿主孫右衛門御見舞ニ罷下候、進物ハ御樽二・靏壱つ・こんふ一折持参仕由、田川御か
ソノ返礼方    |  りばへ、坂清左迄申入候ヘハ、其状を則懸 御目被申候ヘハ、いかやうニ仕候へとの 御意無御
         |  座との御返事ニ付、難計存、吉田縫殿をよび、其状を見せ、監物殿へ被参、如何様ニ被成可然候
         |  ハんやと、談合ニ遣候ヘハ、監物殿被仰せ候ハ、先日被懸 御腰、忝との御礼に参候、 語彙も其
         |  通ニ相聞え候間、其儘戻し候へと、被仰候由申候、左候ハヽ、殿様ハ今程不被成御帰城候間、
         |  帰候へと可被申由、申候事、
江戸ヨリ飛脚   |一、江戸ゟ御飛脚弐人参候、壱人三木仁兵衛ハ上林与、壱人ミね甚兵衛也、江戸を正月十二日に罷
ソノ旅程     |  出、大坂ニ十九日ニ着、廿日に大坂舟ニ乗候へ共、日和悪敷候而、廿一日ニ出船之由、重田吉左
         |  衛門舟ニ而下由、申候事、
お冬下着ス    |一、御冬様、重田吉左衛門舟ニ而、只今御下着被成候事、
         |一、松野織ア・町三右衛門ゟ、大文箱一つ・小文箱壱つ被上候を、持下ル、
         |                               (元明)
         |一、御冬様御乗物かきの御用ニ、御長柄衆三人、御賄之ためニ三人、住江甚兵衛ニ渡申候由、御長柄
         |  ノ小頭申候、六人ノ外ハ御長柄衆ム御座ニ付、右之通由申候事、
病死届      |一、木原惣左衛門尉、昨晩病死被仕候通、小林久介被申候事、
米船大坂皮口ニテ |一、佐藤少三郎被申候ハ、主大坂出船之刻、殿様御米舟一そう大坂川口にて破損仕候、御米三十三俵
破損ス      |  見え不申由候、大坂衆被申候ハ、此段を書状ニ而小倉へ申遣度候へ共、其ひまも無之、此御仕合
         |                                          〃〃〃
         |  仕合ニ候間、御奉行衆二申上くれ候へと、被申候へ共、此中失念仕、申後候由被申候、破損ノ夜
         |  ハ正月九日之由、

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