私が住む東区尾ノ上のコミュニティ紙に掲載されている記事である。
かって国鉄(現JR)豊肥線の水前寺駅の東500mほどの所から、現在の健軍自衛隊の西北かどに向けて、真っすぐに鉄道が走っていた。
自衛隊がある場所は、戦時三菱重工の飛行機製造工場があり、その専用鉄道である。
スレート葺ののこぎり状の屋根を持つ大きな工場は、まだ残っていて自衛隊内で現役で活躍している。
私は幼いころ沿線近くに住んでいて走り回っていたが、そのころには線路も撤去されて市道となっていた。
ここに取り上げられているように、「京塚バス停」のあたりは、その名残である市道と、そのわきに戸島方面に走る県道が並行しているところがあり、一時期交通事故が多い場所として知られた。
現在は、バス停が設けられて分離されたが、このような事情を知らない人は、不思議な道路だと思われることだろう。
現在、日赤病院や熊本県立大学がある当りの長い真っすぐな道路とその周辺は、かって健軍飛行場があった場所で、ここから「尾ノ上」の由来になったのであろう丘陵地を掘り切って、やはり三菱の工場の北側の中ほどに繫げられた。
健軍飛行場はまさしく、三菱重工の付属飛行場であった。
三菱の広大な敷地は自衛隊の敷地となったが、その道が南に延長され、大きく東西二つに分断されて大きな道が通り、健軍へぬけて官庁街となった。
旧健軍町は、南北朝時代に於いては戦場となった「託麻が原」であるが、近代の一時期はこのように軍都としての一面を成していた。
私は幼いころ母や祖母から「三菱の引き込み線」と教えられた。
ご厚誼をいただいているS様のブログ「徒然なか話」の「かつて そこに 飛行機に命をかけた人たちがいた・・・」に往時の三菱の工場の事が紹介されている。
そしてこんなすごいブログも発見した。廃線探索 三菱重工業第九航空機製作所専用線(歩鉄の達人)