苦労して読み下しをした某家文書を、一瞬の手違いですべて消去してしまった。これは非常にまずい・・・大ポカである。
全28頁、今日は一日これに取り掛かれなければならないが、朝食後あわてて4頁程を2時間ほどで読み下しと並行しながらタイピング。
途中歯医者にも出かけて中断。夕方までに16頁を終了、ほかの事を中止しても二日懸りである。
一度読んでいるからスムーズにいきそうなものだが、これが何とそう行かぬのが古文書の難しさである。
読めない文字はまずは■表示をしてどんどん前に進む。すると同じ字が出てきたりして解決することが有る。
初めて知るようなことがいくつも書かれていて、タイピングを思わず止めて見入ってしまう。
陪臣の江戸證人の話などは、大変興味深い。(しばらく内緒・・)
明日のブログの為に「細川小倉藩」のタイピングもある。今日は少々就寝時間を遅くしてできる限り前に進めようと思っている。
日帳(寛永七年一月)廿二日~廿六日
|
| 廿二日 奥村少兵衛
|
忠利大橋へ出遊ス |一、殿様今朝卯之刻ニ、大橋へ被成 御座候事、
規矩郡ノ鴨罠ヲ引 |一、規矩郡にて、鴨わな御さゝせ被成候、もはや鴨とれ不申由ニ付、不残上ヶ候へと、申渡候事、
上グ |
台所奉行賄方諸買 |一、浦上瀬兵衛被申候ハ、御台所御賄方諸御かい物之分、御印帳ニ付候と成共、又ハ不書付ニ成共、
物ノ御印帳ニ記載 | とかくの埒明候へと被申候、松丸衆中共談合可申由、申候事、
ノ可否ノ決定ヲ願 |
フ |
弁当丸盆数寄屋ノ |一、御弁当三荷・丸盆拾五枚・御すきやノ重箱大小五くミ、古ク罷成、御用ニ遣申儀不罷成候間、ぬ
重箱ノ塗替 | り直申度由、得兵衛被申候事、
| (重直)忠利室の弟、杵築藩主
|一、松平丹後様ゟ御飛脚両人参候、御文箱ハ則此方ノ御飛脚弐持せ、大橋へ遣申候也、
|
| 廿三日 安東九兵衛
|
松平重直飛脚へ給 |一、松平丹後守様ゟの御飛脚両人ニ、銀子壱枚被遣候也、
与 |
|但、江戸下御屋敷御座敷ノゑのぐ也、
矢野吉重積ノ江戸 |一、絵書三郎兵衛ゟゑのぐの積ノ切手、京都へ差上せ候を、御小早御船頭石井又左衛門尉ニ相渡、大
下邸座敷ノ絵具切 | 坂へ差上せ候也、
手 |
|一、松之丸衆同道仕候而、御用之儀に付而、大学殿へ参候也、
小篠次大夫病死 |一、小篠次大夫、今日病死被仕候也、
|
| 廿四日 加来二郎兵衛
|
| (加室、周防大島郡)
加室ヨリ来ル鷹野 |一、かむろゟ参候御犬、御鷹場へ参、御しまやニ成候間、小倉へ遣、重而不参候様可仕置由、続平右
犬狩ニ邪魔トナル | 衛門尉ゟ奉書参候ニ付、御小人頭與介ニ、右段申候而、御犬相渡候事、
| 加兵衛ニ
若松口ノ門番任命 |一、若松口の御門番、池上加兵衛に被仰付候由〇申渡、 御印頂戴仕候事、
菊野伊織母ノ扶持 |一、菊野伊織母内久松半右衛門ニ、伊織母ニ被遣御扶持方幷御米・大豆・塩ノ切手、相渡候也、
方ノ切手 |
沢形右衛門等ノ上 |一、沢形右衛門尉上屋敷、小崎四郎左衛門望被申ニ付而、被相渡候へと、中山佐次右衛門ニ申渡候也、
リ屋敷ノ下渡シ |
|一、団左兵衛上屋敷、柳瀬茂左衛門望被申ニ付而、是又被相渡候へと、同人ニ申渡候也、
|
| 廿五日 奥村少兵衛
|
| (高虎)
藤堂高虎家臣飛脚 |一、藤堂和泉殿御内鈴木平兵衛と申人ゟ、 殿様へ御飛脚被差上候間、京銭弐貫文被遣候而、相渡可
へ京銭給与 | (長氏)
| 申旨、坂崎清左衛門尉方ゟ書状にて被申越候、飛脚ノやとハ、平野九郎右衛門尉所也、則河村七
| 佐衛門尉ニ右ノ銭持せ、九郎右衛門方へ遣也、
| (忠総)当時美濃大垣藩主 (松井興長)
石川忠総老臣ヨリ |一、石川主膳殿御内天野刑ア左衛門尉・石川二郎右衛門尉・石川淡路守ゟ、式ア少輔殿へ之返事参候
書状 | を、式ア殿ゟ持せ被下候、請取置申候事、
|
| 廿六日 安東九兵衛
|
| (有吉英貴)
|一、今日式ア少輔殿・頼母佐殿、田川御狩場へ御越候也、
田川郡御狩場鉄炮 |一、田川御かりはへ御鉄炮五十丁か、百丁か、廿七日ニ進上可仕旨ニ付、御鉄炮頭衆も付遣可申儀候
足軽差遣 | (米田是季)
本頭 小頭 | 哉と監物殿へ相尋候へば、本頭ハ入申間敷候、小頭を付遣候様ニと、被仰下候也
| (宗珠院) (長沢顕長室、沼田清延女)
宗珠院ヨリ伊与へ |一、佐藤少三郎敏ニ、そうしゅいん殿ゟいよ殿へ参候かミノ袋弐つ、大嶋喜右衛門ニ相渡候也、
音信 |
京都遣銀ノ目録 |一、右少三郎御銀之目録三つ被持下候を、弐つハ甚丞、壱つは新兵衛・喜左衛門ニ渡、使ハ古庄次左
| 衛門也、