津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■文化十二年六月十七日・奉行所達

2023-06-17 06:49:44 | 史料
 鎌倉に細川家ゆかりのお寺があるという話に触れたのは、もう十年ばかりも前のことである。
いろんなワードを打ち込んで行き着いたのが「妙法寺」であり、随分古い歴史を持つお寺らしいことが判明した。
ウイキペディアでこの「鎌倉・妙法寺」を拝見すると、「本堂は文政年間、肥後細川家により、幼くして亡くなった細川家息女の菩提を弔うため建立された」とある。
文政年間に亡くなられた息女となると、齊茲女の耈姫や斎樹女の篤姫が該当するが、耈姫は熊本の泰勝寺に父君の脇に埋葬されているから該当者ではない。
そうすると篤姫のことであろう。この姫は齊樹の二人の娘は側室の腹に生まれた年子の妹(姉は早世)だが、齊樹の正室・紀姫が養女にしたと細川家記は記している。

 一方、度支彙凾(文化八年より十四迄 法令條論)「八〇〇」に次のような記事があるのを発見した。

一篤姫様御事、此節御前様御養女ニ被遊候ニ付、右之段御用番之御老中様え参月廿一日被遊御届候、依之御中老以上、
 篤姫様と可奉稱旨被仰出候段従江戸申來候條、奉得
其意、觸支配方えも可被達候、以上                  

  (文化十二年)亥六月十七日    奉行所

篤姫は細川齊樹二女(生母・坂内氏慶)宇土支藩藩主立政(後の本藩藩主・齊護)と婚約するも早世、14歳 
御前様とあるのは細川齊樹室・紀姫(一橋大納言治済女ー徳川家斉妹)である。
齊樹にとっては、側室の子ながらただ一人の子であり、正室の紀姫がその女を養女とした経緯が記されていた。
ウイキペディアによると、妙法寺は徳川家ゆかりのお寺であるとともに、家等の崇敬を得ていたとされる。

篤姫は紀姫の養女ながら、家齊つながりで本堂までも建立されて祀られている。奇特なことではある。

        
コメント
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