津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■御扶持方御切米御帳(10)

2023-06-01 10:40:30 | 先祖附

 所々御番衆(1)

一 貮人扶持八石        御本丸東御門番 坂井勘兵衛
一 貮人扶持五石            同   加藤与左衛門
一 右同断               同   樋井市左衛門
一 右同断       御本丸御数寄屋下御門番 麻生三右衛門
一 右同断               同   天野久兵衛
一 右同断               同   吉田久左衛門
一 右同断               同   花岡次郎左衛門
一 右同断               同   大野源兵衛
一 貮人扶持五石        御本丸闇御門番 右田与右衛門
一 右同断               同   土屋太郎右衛門
一 右同断               同   野村九郎兵衛
一 右同断               同   田中久左衛門
一 右同断               同   高瀬少左衛門
一 右同断         御本丸四ッ辻御門番 今永弥左衛門
一 右同断               同   西 善左衛門
一 右同断               同   篠田吉左衛門
一 右同断          御本丸御裏御門番 田中六兵衛
一 右同断               同   渡 長左衛門
一 右同断               同   塚本与左衛門
一 右同断            竹御丸御門番 門岡忠左衛門
一 右同断               同   井上彦左衛門
一 右同断               同   山田茂左衛門
一 右同断               同   松尾勘左衛門
一 右同断           竹御丸下御門番 塚本吉右衛門
一 右同断               同   吉村源左衛門
一 貮人扶持五石            同   堀 孫右衛門
一 貮人扶持拾石            同   柿本喜左衛門
一 貮人扶持八石          御天守手傳 佐田理右衛門
一 右同断               同   安見専右衛門
一 右同断               同   安藤清左衛門
一 右同断               同   清原喜兵衛
一 右同断               同   高見与三兵衛
一 右同断               同   榎本久右衛門
一 貮人扶持拾石            同   真野吉右衛門
一 右同断               同   矢野清右衛門
一 右同断               同   市丸勘左衛門
一 貮人扶持五石         西大手御門番 福井市左衛門
一 右同断               同   江崎加兵衛
一 右同断               同   村田惣兵衛
一 右同断               同   緒方何右衛門
一 右同断               同   深町茂右衛門
一 右同断               同   伊藤善兵衛
一 貮人扶持七石         南大手御門番 今橋喜兵衛
一 右同断               同   井口善太夫
一 右同断               同   上田五右衛門
一 貮人扶持三石            同     三丞
一 貮人扶持五石         北大手御門番 佐藤新兵衛
一 右同断               同   土方久太夫
一 右同断               同   松尾藤右衛門
一 右同断          御奉行所口御門番 河内又兵衛
一 右同断               同   小島角右衛門
一 右同断               同   小野与兵衛
一 右同断               同   杉山与兵衛

一 三人扶持八石         同所刀懸ノ番 林 傳兵衛
一 右同断               同   月方惣左衛門
一 右同断               同   土方三左衛門
一 右同断               同   八坂次右衛門
一 右同断               同   尾藤仁右衛門
一 貮人扶持五石          時太鼓御番 岩屋清助
一 右同断               同   尾崎長兵衛
一 右同断               同   津野傳左衛門
一 右同断               同   岩松長左衛門
一 右同断               同   山本与三左衛門
一 右同断               同   高宇田市左衛門


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■池邉吉十郎宛西郷隆盛書簡ー1

2023-06-01 10:15:54 | 史料

   西南の役に於いては熊本隊の総帥となった池邉吉十郎に宛てた、西郷隆盛の明治九年の書状である。
2016年7月26日放送の「なんでも鑑定団」に登場し、増田孝教授の鑑定で初出の真筆書状という事で出品者の価格750,000円に対し2,500,000と言う高値が付いた。
その折の益田教授のお話し「本物に間違いない。池辺吉十郎というのは西郷の親友で、西南戦争の際に決起するのだが、賊軍ということで捕らえられて斬首される盟友の一人。西郷が亡くなったのが明治十年なのでその一年前に熊本に行って大事な相談をしたいような内容。政界を退いてから亡くなるまでの西郷の史料というのはほとんど残っていない。依頼品は全集にも入っておらず、その意味では新発見といえる。」

処が全く内容の同じものが、早稲田大学図書館に西郷菊次郎極め書き付書簡として存在する。ただしこちらは「写(自筆)、書写年不明」とあるから「なんでも鑑定団」出品の物が本物なのだろう。

 この書状は三月十二日の日付があるが、西郷はどこで池邉と会ったのだろうか?勉強不足の私は承知していなし、余り語られることもなかった用の思う。菊次郎氏の極め書がある所を見るとその存在は承知されていたのだろうが、世に認知されたのは「なんでも鑑定団」によるものかもしれない。
書状には、熊本から帰った後、久光公の御供をして桜島に湯治に出かけたので返事が遅れたということわりの言葉と共に漢詩が添えられている。(左片の3行目~6行目)

      

              三太郎南返故郷
                 (三太郎南のかた故郷に返れば)
              薩山深處為花峡
                 (薩山の深き処花峡と為る)
              熊城春色容相憶
                 (熊城の春色容に相憶(おも)うべし)
              雖去猶存侠骨香
                 (去ると雖も猶(な)お存す侠骨の香り)

 三太郎峠を越え、南を目指して故郷へ帰ったが、薩摩の山々の奥深いところは桜の花が咲き匂う山あいとなっていた。
熊本の町の春景色はきっといつまでも忘れないだろう。立ち帰ったけれども硬骨漢のあなたの温情は、今も私の胸のうちに馥郁と香っている

 池邉吉十郎と西郷隆盛(吉之助)の友情のほどがうかがえる。西南戦争勃発の一年前のことである。

 

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■犬あずかりは駄目

2023-06-01 05:54:40 | 徒然

         御家中飼犬を間ニハ町家に預候者有之、夫よりして内輪種々申分も差起候哉ニ相聞候、
         程ニ寄其分ニ難被閣筋も成行候てハ難相濟事ニ付、以来町家に御家中飼犬を預申間敷
         候、たとひ無余儀訳を以預方談有之候とも堅相断候様、此段町中一統可及達旨ニ付小
         前々々ニ至迄不洩様夫々申聞置候様可有通達候、以上
              六月朔日         町方根取中
            市原永一郎殿

                       (熊本藩町政史料(三)文政十二年六月朔日の項から)

 町方に於ける奉行所からのお達しだが、武家から「犬」を預かる事を禁じるというものである。
何故なのかよく判らないが、預かった町方ではいろいろ難儀なことが起って奉行所に嘆願でもしたのだろう。
「余儀なき訳を以て」も「堅相断候様」とあるから、町方はよほどの迷惑を蒙ってのことであろう。
文政年間ともなると、武家の間に犬を飼うという余裕が生まれていることが伺える。

宛名の市原氏は古町で酒造を生業とする大店の主人である。その遠祖は毛利氏だとされる。

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