忠興(三斎)文書-元和九年
388、九月廿五日書状
・谷下総病ム、喜齋ヲ遣ス 谷衛長ノ知行ノコト失念ス
389、十月十二日書状
・亥子ノ祝儀到来、祝着
390、十月十三日書状、
・中国ノ鶴ト筑前堺ノ鮭ヲ給、喜悦
391、十月十六日書状
・本多康紀歿ス
392、十月廿五日書状
・肥後ゟ到来ノ鷹ノ鴈給、祝着
393、十月廿九日書状
・秀忠ヨリ鷹ノ鶴拝領
394、十一月十五日書状
・筑後塩鴨ノなし物給、祝着
395、十一月廿三日書状
・唐猫ヲ所望ス
396、十二月十三日書状
・瓜ノ香物等給う喜悦、鷺取ノ隼アラバ借リタシ
397、十二月十四日書状
・忠利ヨリ鷺取ノ隼届ケラル
398、十二月十八日書状
・上野焼ノ水指給、満足
399、十二月廿日書状
・忠利ヨリ借用ノ隼ヲ返却ス
400、十二月廿二日書状
・美濃柿百他給、祝着
401、十二月廿三日書状
・忠利、三斎蔵入地へ走入リシ百姓ノ返還ヲ求ム
・忠利、三斎代ノ追放人ヲ呼ビ返サントス、領内ニ人ヲ多ク置キタシトノ意向ヲ察シ忠利ノ取計ヒニ委ス
・三斎代ニ他国ノ走百姓ヲ領内二入置ク、忠利領内百姓ノ三斎蔵入地ヘノ走人ハ返サズ
・幕府ノ法度ニハ本国へ返者ハ構ナシ、走セ損・取徳
・忠利直々ノ構アル者ハ法度ニ拘ラズ理非ニ入ラズ返サン、以来ノ走人ハ理非徳
402、十二月廿四日書状
・忠利、三斎蔵入地ヘノ走人ヲ免ズ
・走人ニツキ忠利側ノ申分ニ真実ナラザルコトアリ、理非ノ聞手別ニナクテハ解決セズ、理非決シ難ケレバ外聞悪シ
・理非ノ裁断ハ他国衆カ火起請ニ依ラザレバ決シガタシ、三斎側ノ申分ヲ真実ト為スニハ非ズ
403、十二月晦日書状
・歳暮ノ祝儀、祝着