津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■忠利小倉城入城

2023-06-23 05:59:04 | 歴史

                    

 元和六年(1620)の末、細川忠興(58)は江戸に於いて「以之外ニ御煩被成」(もっての外にお煩いなされ)て気弱になり、継嗣忠利に家督を譲り隠居、三斎宗立と号する。
帰国していた忠利は急遽江戸へ下るが、到着するのは明けて七年の正月二日のことである。その日のうちに江戸城に登城し将軍に拝謁している。そして、正月七日家督相続が決定した。
二月になると三斎の体調も回復し、忠利ともども御暇を給わり帰国、元和七年(1621)六月廿三日に到り忠利(36)はそれまでの居城・中津城から小倉城へ入城した。
慶長十四年(1609)四月に結婚した千代姫との間に、元和五年には嫡子・六丸(光尚)が誕生しており、以来過ごした中津城から共に小倉城に移徙したが、元和九年(1623)に至り正室の江戸居住が仰せ出され十月四日千代姫は14年間過ごした豊前国を離れた。

忠利の豊前国に於ける治世は寛永九年(1632)肥後移封までの11年間に及ぶ。

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