津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■足利将軍の御血筋が・・・

2014-01-29 07:36:03 | 歴史

「風説秘話」に次のような話がある。

           西山大衛弟同傳喜不行跡ニ而一旦出奔せしか、後虚無僧と
           成立帰り秘ニ大衛か許ニ居りしか、或時兄弟口論様せしか又深
           巧有たるや、家の系圖を盗取出奔す、大衛方々手を延し
           吟味せしに廻り役之者捕来、内々ニて大衛に渡したる故早速
           手打したり、西山ハ家柄宜敷故系圖を盗他国ニ可有付巧な
           り津らんとの風説也

 足利道鑑の娘が小笠原備前家の初代・長之の後室となっている。その故を以て長之の二男が養嗣子として西山家の二代目となった。
大衛はその孫にあたる。名門であるが故にこのような事件は頭の痛いことであったろう。 

 

 ■ 西山大衛  (南東8-1) 
    
足利十三代将軍義輝 
    
尾池玄蕃(足利道鑑)又(小池茂左衛門・入道道閑)
            女:桜井兼友・正室 水無瀬兼豊養女(足利義辰・女)
            女:小笠原長之・後室
    西山左京・至之(尾池伝左衛門)
            
後・息勘十郎とともに「御家御断申、京ニ被相越候由」(綿考輯録・巻五十二)
                   
細川忠利公御書出(寛永十五年)千石
                   
細川光貞公御書出(寛永十八年)千石
    
西山勘十郎       細川忠利公御書出(寛永十五年)五百石
                   
細川光貞公御書出(寛永十八年)五百石
    
1、八郎兵衛(勘十郎弟・山三郎氏房)  
              (1)人持衆併組外衆 二百七十九石六斗余 (真源院様御代御侍名附)
              (2)二百七十九石 (真源院様御代御侍免撫帳)
              (3)清田石見組・御番頭 千弐百七十九石六斗 (寛文四年六月・御侍帳)
              (4)御番頭・清左衛門組     同上        (御侍帳・元禄五年比カ)
                
寛文四年一月(着座)~元禄六年六月(病死)番頭
                   
細川忠利公御書出(寛永十八年)
                         細川光貞公御書出(寛永十八年)三百石

                   細川綱利公御書出(寛文元年)三百石
                   
西山八郎兵衛加増知行所付目録(寛文元年)千石
   
 2、九郎兵衛・道可(養子 実・小笠原備前長之二男 初・八郎兵衛・氏清)
                   千弐百七十九石六斗三合二勺八才 着座 屋敷・手取
                
元禄九年二月(着座)元禄十四年十一月 番頭(同役不和ニテ被差除)
                   
細川宗孝公御書出(享保十九年)千三百石
    
3、多膳・氏政    享保十二年一月(着座)~享保十六年 番頭
    
4、大衛・氏章  比着座 千弐百七十九石六斗三合二勺八才 延享元子十月廿日
                                  東山鹿苑院義政将軍ヨリ出
                
明和五年三月(着座)~安永五年一月 番頭
        弟・傳喜 

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