通称八丁馬場と呼ばれるのは、健軍神社の参道、その脇の側道(写真の背面)添い、神社のすぐ目の前の右手にこの「西南の役‐熊本隊出陣之所」という碑が建てられている。
明治十年二月十九日熊本城は火を発し灰燼に帰した。人々は呆然とする中城下には火が放たれて焦土と化した。薩軍の熊本城攻撃が激しくなる中、二十二日熊本隊の幹部は健軍神社に集まり、友成正雄が趣意書を読み上げ挙兵の名分を明らかにして一同はこれを了とした。参会後それぞれの幹部が同志を引き連れ再度集合した。その数一千人と言われる。これらを十五の小隊に分かち、池邉吉十郎を頭とした。
一同は社殿前に整列して勝利を祈った。そして翌二十三日の払暁夫々出陣していったのである。
この地がそのような歴史を物語る貴重な場所であることを詳しく知る人がどのくらいいるのだろうか。
140余年を経るが、私共が幼いころにはまだ熊本隊に参加された方が元気で在られたことを思い出す。
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